2人の高橋

 大名茶人として名高い松平不昧(治郷)。その名が広く知られるようになったのは、2人の人物のおかげかもしれない。明治・大正期の実業家で茶人でもあった高橋箒庵(そうあん)(義雄)と、『松平不昧伝』の編集を担った高橋梅園(龍雄)だ▼箒庵は、松平家の当主が直亮(なおあき)伯爵の時に不昧の百年忌茶会を企画したメンバーの一人。三井呉服店(三越)を陳列販売方式に改め近代百貨店化の礎を築くが、50歳で実業界を退き茶の湯に専念する。三井銀行時代は、同じ慶応出身で阪急を創業する小林一三の上司だった▼慶応大などで教授を務めた梅園は旧平田市の出身。百年忌に発刊された不昧の伝記を、松平家から依頼されて手掛けた。岡倉天心の『茶の本』出版から約10年後のことだ▼当時は日本文化を見直す機運や、美術品の海外流出を防ぐ狙いから実業家の間で茶会や茶道具が流行。その中核が三井財閥系や慶応人脈だったようだ。中でも箒庵は近代数寄者と呼ばれる人々の茶会の様子を記録し、新聞に連載した▼さらに箒庵は不昧の百年忌を節目に、名物茶道具を分類した不昧の『古今名物類聚(るいじゅう)』に倣い『大正名器鑑』の編集に着手する。その際まず直亮の元に出向いたという。その編集も梅園が手助けした▼後に梅園は『茶禅不昧公』を著すなど不昧に関する話を数多くまとめる。箒庵もその後、関東大震災に伴い不昧の墓所を移したのを機に東京・護国寺を今も続く茶の湯の拠点に整える。2人の働きに助けられ、来年は不昧の200年祭を迎える。(己)

2017年2月24日 無断転載禁止