育もう人と大地/島根に生まれ 島根で生きる

元JC総研客員研究員  黒川 愼司

 2007年9月中旬、「明日、引退が新聞に出ますので事前に連絡させてもらいました」との電話がありました。広島東洋カープの佐々岡真司投手からです。報道ではなく、本人の口から進退を聞き、うれしく思いました。

 佐々岡投手は「先発100勝、100セーブ」という、日本球界には2人しかいない素晴らしい記録を打ち立てています。1990年、新人の年に、私の手で創刊した季刊の広報誌の取材で出会いました。

 私は70年3月に大学を卒業して、島根で社会人となりました。65年に大学進学で上京した時には、この場所で生きることが自分の人生だと考えていました。ですから就職して数年は、これは違う、違うという毎日でした。

 「都落ち感覚」を断ち切り、島根に生きるという気持ちになれたのは、就職して5年目に農業青年組織の事務局を担当し、県内各地の農業青年との出会いがあったからです。彼らは厳しい環境の中でも、生まれ育った地にしっかりと根を張り、生きていました。根なし草のようにふらふらとした自分が恥ずかしくなりました。

 そんな農業青年との絆を強固にするために、77年に「島根青年農業まつり」を斐伊川河川敷で開きました。オープニングは「育もう人と大地」という幟(のぼり)を掲げた竹いかだの川下り。会場入り口には、安来市伯太町の盟友が起草した「百姓宣言」の掲示。かがり火をたき、徹夜での石見神楽。隠岐から闘牛も来ました。歌手の岡林信康さん、友川かずきさん、和太鼓の鬼太鼓座のライブも行いました。1泊2日の「まつり」は大成功に終わりました。

 歌手のさだまさしさんにも取材させてもらいました。さださんに「石見人という自覚がありますか」と聞いたところ、「祖父が三隅町(浜田市)出身。私にも石見の血が流れています。妻も浜田市の出身です」との答えでした。

 この他にも、野球の梨田昌孝さん、大野豊さん、和田毅さん、ゴルフの大西久光さん、シンボリ牧場の和田共弘さん、孝弘さん、農民画家の池田一憲さん、映画監督の錦織良成さんなど島根出身の多くの方々を取材させてもらいました。

 「ダメもと」という言葉がありますが、これで実現したのが、森英恵さんへのマーク制作依頼です。広告代理店の担当者に「島根の農産物のシンボルマークを作ってもらったらどうだろう」と軽い気持ちで話しました。実現するとは思いませんから、「森さんからOKが出ました」との話に本当に驚きました。

 「自分のルーツである島根のために、今まで何かしたかと、自問している時に依頼がありました。ふるさとのお役に立てるなら」との返事です。

 「世界の森英恵さん」の快諾ですから、会長の許可もすぐに出て、チョウと出雲大社のしめ縄のイメージを織り込んだマークが出来上がりました。

 島根で生きるという決意表明でもあった、「育もう人と大地・島根青年農業まつり」から今年で40年が経過します。

 この間、河井寛次郎記念館、水上勉さん、梅原猛さん、野坂昭如さん、立花隆さん、山下惣一さん、和泉雅子さんらと仕事をさせてもらいました。

 若い時は、東京にしか仕事はない、東京でしか仕事はできないと考えていました。しかし、顧みると、島根だからこそ、多くの仕事ができたと思います。

 この日本の片隅で「あさはこわれやすいがらすだから 東京へゆくな ふるさとを創(つく)れ」という詩を胸に抱いて。

…………………………

 くろかわ・しんじ 1946年、江津市波子生まれ。早稲田大卒。JA島根中央会で青年組織、農政、広報などを担当。JA退職後、2016年3月末までJC総研客員研究員。

2017年2月26日 無断転載禁止