和泉式部伝説と浜田

 恋多き女性として藤原道長から「浮かれ女」と評された和泉式部(976年頃~1036年頃)は平安時代中期を代表する歌人の一人。「あらざらむ/この世のほかの/思ひ出に/いまひとたびの/あふこともがな」(小倉百人一首)のように、情熱的な歌を数多く残している▼一方で、実在の人物ながら、彼女ほど謎めいた伝説に彩られた人も珍しい。和泉式部伝説は全国各地に点在。山陰地方にも残る。中でも、浜田市内には地名などで数カ所が存在する▼同市下府町には身重ながら九州の父に会う旅の途中で、和泉式部が体を休めた「式部腰掛け岩」。急に産気づいた和泉式部が宿を請うが、村人に追い出され、生まれた子を袂(たもと)に包んでたどり着いた地を「袂の里」。里近くの池で産湯をつかった「生湯(うぶゆ)」。橋のたもとに子を捨て、後に引き取った「子落(こおとし)」(同市三隅町)などだ▼筆者は不勉強で「生湯」と「子落」以外の伝承地は知らない。短歌「輪」の会の尾崎テル子さん(86)=同市長沢町=は、会誌の中で「生湯について」と題し、「出産の折に産湯をつかった伝説の地(略)今は池は無く井戸がある」と紹介している▼同世代の紫式部は「和泉式部という人こそおもしろう書きかはしける」と評価。京都・誠心院の初代住職とされ、3月21日の和泉式部忌は春の風物詩となっている▼和泉式部の伝説地が残る浜田市。石見国庁や国分寺、国分尼寺があった地だけに、和泉式部も含めた伝説地の散策ガイドがあればいい。春本番は間近い。(野)

2017年3月7日 無断転載禁止