世間と社会

 今年の島根大2次試験の国語の問題に、劇作家・鴻上尚史さんの文章が出ていた。「世間」と「社会」に対する日本人の対応の違いを述べた内容についての設問だった▼鴻上さんが言う世間とは、近所や会社などその人と人間関係や利害関係がある人たち。一方の社会は、通りすがりなど無関係の人たち。日本人は世間と社会を区別し、世間には気を使うが、社会への対応は慣れていないとする▼具体例として、震災の時には整然としていたのに、駅の階段で乳母車を運ぶ母親を見ても誰も手伝わないことに驚く欧米人がいる点を挙げていた。その東日本大震災から6年を迎える。関連死を含めると2万人以上が犠牲になり、12万人余りがまだ避難生活を送る▼しかし、多くの義援金やボランティアが全国から集まった頃に比べると一般の関心は薄れたように感じる。多くの人にとって「世間」の関心事から「社会」の昔話になったのだろうか▼風化が避けられないとすれば、心構えや精神論だけでは限界がある。地震が頻発している状況を考えると、まだ記憶が確かなうちに、万一に備えた社会の仕組みを整えたい。例えば構想が一時あった、避難にも使える病院船もその一つだろう▼同じ劇作家の寺山修司が競馬を題材に作った詩の中に「ふりむくな/ふりむくな/うしろには夢がない」という一節がある。震災からの復興を象徴する東京五輪は、そんな夢に違いない。同じように、救えるかもしれない命のための仕組みも後ろ向きの夢ではない。(己)

2017年3月11日 無断転載禁止