ジャーナリスト、政治家 伊達 源一郎(だて げんいちろう)(安来市生まれ)

伊達 源一郎
鳥のコレクションでも有名

 ジャーナリストや政治家(せいじか)、鳥類研究家として活躍(かつやく)した伊達源一郎(だてげんいちろう)(1874~1961年)は、安来(やすぎ)市伯太(はくた)町井尻(いじり)で医師(いし)の家に生まれました。

 現在(げんざい)の同志社(どうししゃ)大学を卒業。中学校教員を経(へ)て新聞記者を志(こころざ)し1900(明治33)年、大学の先輩(せんぱい)で国民新聞社社長として有名だった徳富蘇峰(とくとみそほう)を頼(たよ)って上京します。

 初対面の蘇峰に「私は金も名声も求めるのではなく、本当の新聞記者になりたくて来ました」と答え、即座(そくざ)に入社が決まったというエピソードが伝わっています。

 外国の新聞、雑誌(ざっし)の翻訳(ほんやく)に関わったことがきっかけになって、のちに世界の外交に接(せっ)することになります。

生家跡(あと)に立つ伊達源一郎の石碑(奧側)と石柱碑、表示板=安来市伯太町井尻、井尻交流センター
 第2次世界大戦中には筆を置き、戦後の46(昭和21)年、島根新聞社(現山陰(さんいん)中央新報(しんぽう)社)社長になり、翌(よく)年には薦(すす)められて参議院議員選挙に出馬し当選。戦後日本の復興(ふっこう)に寄与(きよ)します。

 51(同26)年、第2次世界大戦を国際(こくさい)法の上で終結させ、平和条約(じょうやく)を結ぶためのサンフランシスコ講和(こうわ)会議に、当時の吉田茂(よしだしげる)首相の要請(ようせい)で全権(ぜんけん)委員代理として出席。各国のマスコミ関係者への対応を担当(たんとう)しました。

 2年後には、参議院議員を1期で引退(いんたい)するとともに社長を退任(たいにん)。子どものころから好きだった鳥の研究に励(はげ)み、松江(まつえ)野鳥の会や白鳥を守る会を組織(そしき)しました。

 5千点以上もの鳥の標本(ひょうほん)を収集(しゅうしゅう)した中で戦後、残った1600点の標本を「伊達鳥類コレクション」として島根県が譲(ゆず)り受けました。現在は大田(おおだ)市の県立三瓶(さんべ)自然館サヒメルが収蔵(しゅうぞう)し、コウノトリとトキの標本2体を同館で常設展示(じょうせつてんじ)しています。

 生家(せいか)は、地元の井尻地区に寄贈(きぞう)。後(のち)に伯太町が立て替(か)えた井尻公民館(井尻交流センター)は、住民憩(いこ)いの場となっています。敷地(しきち)内には石碑(せきひ)が建立(こんりゅう)され、吉田元首相が題字、田部長右衛門朋之(たなべちょうえもんともゆき)元知事がたたえる文章を書きました。

 松江、安来両市が名誉(めいよ)市民に選定。61(同36)年に亡(な)くなった際には、松江市は市民葬(そう)を行って功績(こうせき)にこたえました。

2017年3月22日 無断転載禁止

こども新聞