真の「平和」とは何か/李承晩ラインと「平和線」

 島根県竹島問題研究顧問 藤井賢二

 1952年1月18日、韓国は朝鮮半島を取りまく広大な海域に李承晩ラインを設定することを一方的に宣言した。その目的は、東シナ海中央部から韓国の日本海沿岸に至る海域の好漁場で日本漁船を追い出し、漁業資源を独占することであった。

 韓国は李承晩ライン「侵犯」を口実に、済州島から対馬にかけての海域で65年までの間に多くの日本漁船を拿捕(だほ)し、船体を没収した。抑留された漁船員の中には3年半もの間、帰国できない苦しみを味わった人もいた。また、李承晩ライン宣言で主権を及ぼすとした海域に竹島が含まれていたため、竹島問題が発生することになった。

 李承晩ラインを韓国では「平和線」と呼ぶ。拿捕時の銃撃で日本人に死者を出し、日本固有の領土である竹島を「独島(トクト)」と呼んで不法占拠する。このような事態をもたらした李承晩ラインがなぜ「平和線」なのだろうか。

 実は、李承晩ライン宣言当時の韓国では「平和線」は一般的な呼び方ではなかった。例えば韓国の有力紙『東亜日報』の記事タイトルを検索すると、李承晩ラインの呼び方は、53年2月までは主に「海洋主権線」であり、「平和線」が使われるのは53年4月以後である。

 53年に名称は入れ替わったことになるが、何があったのか。この年の1月、英国政府は韓国政府に、李承晩ライン宣言で公海に一方的に主権を宣言したことを抗議した。前年には米国も同様の抗議をしており、韓国は世界各地に権益を持ち「公海の自由」を重視する米英両国の抗議を受けたのである。

 韓国は英国に対して、韓国の領海を公海に拡大するというのは新聞の誤報だと釈明し、さらに李承晩ラインは「韓国と日本の間に平和をもたらし、維持するための線」だと述べた。そして53年9月に韓国政府は「平和線」という名称を公式に使い始めた。

 孫元一(ソンウォンイル)国防長官は「民主国家と言いながら、昔の侵略根性を未(いま)だ捨てずに虎視眈々(たんたん)と再侵略の機会を窺(うかが)っている日本」から韓国を守るために「平和線」は必要と強調した(1953年10月28日付『週報』韓国政府公報處)。「平和線」には、過去の支配を反省せず朝鮮半島に再び野心を持つ日本から韓国を守るという意味が込められていた。

 「海洋主権線」から「平和線」への変化は、韓国政府が一方的な宣言で公海に主権を宣言した失態の後始末に苦慮した結果だった。韓国はその失態を、日本の危険性を強調することで取り繕おうとしたのだった。

 「平和」という、正面切って反対しづらい言葉を唱えて日本を譲歩させようとする、このような韓国の行動は現在もある。

 2005年に島根県が「竹島の日」を制定して以来、日本の竹島問題への関心は高まった。次期学習指導要領の改定案では、小中学校の社会で竹島が「固有の領土」と初めて明記されるなど、領土教育も強化されつつある。

 これに対して、1974年にユネスコが採択した勧告では、教育は「国際理解と世界平和増進」に寄与しなければならないとあるのに、日本の教育は「韓日間の葛藤をそそのかして批判的見解を曇らせるという点で、ユネスコの精神に明白に反する」という韓国からの反発の声がある(嶺南大学独島研究所『独島研究』20号の南相九(ナムサング)論文)。

 しかし、日本が求めているのはただの平和ではない。同じ勧告でユネスコも言及している「公正な平和」である。韓国がサンフランシスコ平和条約に反して竹島を不法占拠していることこそが日韓間に不和をもたらしているのであり、韓国の名誉をも傷つけていることを忘れるべきではない。

 …………………………

 ふじい・けんじ 島根県吉賀町出身。日本安全保障戦略研究所研究員。

2017年3月26日 無断転載禁止