バラのマークのブランド力

 先月亡くなった杉本良己山陰歴史館元館長が市史編纂(へんさん)に明け暮れていたころ、収集した膨大な資料の中から1枚の写真を拝見した。1964年にできたばかりの百貨店米子高島屋をバックに、近くの畑で女性がくわを振るっていた▼同年生まれの筆者は、高度経済成長を経て市街化した周辺の光景しか知らず、当時最新の商業地が農地と共存する構図に驚いた。同時にまちの姿が変わっていくスピードを実感した▼開店から半世紀を経て、その高島屋が大きな転機を迎えようとしている。2棟ある売り場ビルのうち、東館と立体駐車場を米子市に無償譲渡する。スリム化で店の経営を安定させるとともに、市が東館の運営に関わって、中心市街地の活性化を前に進めようという思惑がにじむ▼近くでは、大型店のやよいデパートが1年前に破綻。大型店との相乗効果で潤っていた周辺商店街に、空き店舗が目立つ。ほど近くの日吉津村にあるイオンを中心に商業地図は大きく塗り変わった。もはや米子のまちなかに境港市や郡部はもちろん、松江市からも客を呼び込んでいた往時の面影はない▼かといって圏域の中核機能をまだまだ残す米子の市街地を衰退させるのはどうか。他業態に押され気味の百貨店業界とはいえ、バラのマークのブランドは、中海・宍道湖圏域でも中高年を中心に愛着がある▼高島屋の出店には当時の商店街が猛反対したが、市などが調整に奔走したという。今度は店の存続と地域の再生に向けて当事者として汗をかく時だ。(示)

2017年4月7日 無断転載禁止