戦後教育の開拓者 加藤 歓一郎(かとう かんいちろう)(雲南市生まれ)

 加藤 歓一郎
 産業教育、生活綴り方を導入

 戦後間もない混乱(こんらん)する時代に、産業教育や生活綴(つづ)り方を導入(どうにゅう)するなど画期的(かっきてき)な教育方針(ほうしん)によって「戦後教育の開拓(かいたく)者」とたたえられた加藤歓一郎(かとうかんいちろう)(1905~77年)は、現在(げんざい)の雲南(うんなん)市加茂(かも)町に生まれました。

 現在の島根大学を卒業後、26(大正15)年から教員として県内各地の小学校に勤務(きんむ)。47(昭和22)年、地元有志(ゆうし)らから熱心に招(まね)かれ、同市木次(きすき)町寺領(じりょう)の日登(ひのぼり)中学校(後に、木次中学校に統合(とうごう))初代校長に42歳(さい)の若さで赴任(ふにん)します。

 「教育とは、…育つのだ。育つものは、待たねばならぬ」という、子どもたちの芽生(めば)えを待つ教育方針を掲(かか)げました。

 米づくりや家畜(かちく)の世話、開墾(かいこん)地への植樹(しょくじゅ)などによって先人の知恵(ちえ)や苦労を知って、ふるさとの良さや働くことの大切さを学ぶ産業教育を導入。また、学校、家庭などを見詰(みつ)め、感じたことをありのままの作文や詩に書く生活綴り方教育を実践(じっせん)します。

加藤歓一郎顕彰資料室で、歓一郎の蔵書(ぞうしょ)に目を通す寺領小児童=2017年3月13日、雲南市木次町寺領の日登交流センター
 「よい学校をつくろう、よい村をつくろう」との熱い気持ちで、母校愛、郷土(きょうど)愛や、貧(まず)しかった農村生活の向上、民主的な村づくりに役立てました。

 文集にまとめた「ひのぼりの子」は、ラジオや新聞などを通して全国に紹介(しょうかい)され、昭和28年度の第7号は全国文集コンクールで特選に選ばれます。

 戦後、新教育のあり方を模索(もさく)していた時で、交流のあった哲学(てつがく)者・教育者の森信三(もりのぶぞう)(通称(つうしょう)・しんぞう)は、歓一郎を「戦後教育の巨人(きょじん)」と賛辞(さんじ)を送りました。58(同33)年、11年間勤(つと)めた日登中学校を最後に、定年を数年残して退職(たいしょく)。77(同52)年、71歳で亡(な)くなります。

 96(平成8)年には、地元有志が加藤歓一郎遺徳顕彰(いとくけんしょう)会を設立(せつりつ)。3年後には、日登中学校跡地(あとち)に建設(けんせつ)された日登交流センターに、寄贈(きぞう)を受けた歓一郎の愛読書約4千冊(さつ)を備(そな)えた顕彰資料(しりょう)室が設(もう)けられました。さらに、歓一郎の業績(ぎょうせき)を紹介する本が県内外で相次いで出版(しゅっぱん)されています。

 寺領小学校では、十数年前から総合(そうごう)学習の時間で米づくりなど地元の食と農を体験。秋のふるさとまつりでポン菓子(がし)として販売(はんばい)するなど、歓一郎の教えを脈々(みゃくみゃく)と受け継(つ)いでいます。

2017年4月19日 無断転載禁止

こども新聞