(21)福光の石切り場 人々の暮らしを支える

戦国時代後期以降、採石が行われてきた石山。福光石で造られた品々は、石見銀山の人々の暮らしを支えた=大田市温泉津町福光
 膨大なのみ跡が山容を変え、約450年間に及ぶ石の文化を連想させる。大田市温泉津町福光の石山。同町の特産品・福光石の採石場として唯一、現在も操業が続く。戦国時代後期以降、一帯から切り出された淡緑色の福光石は、石見銀山の人々の暮らしを大きく支えてきた。

 大森の町並み保存地区と銀山本体の柵内(さくのうち)で確認された墓石などの石造物は合計1万1000基。その大半が福光石だ。大森の仙の山と石山の距離は約20キロ。石工が仕上げた石造物は、牛馬が背負い銀山街道の難所・降露坂を越え、大森にもたらされた。

 コンクリートがない時代、福光石は神社の鳥居や水路、街道を補強する石材など、さまざまな用途に用いられた。その需要は、石見銀山で生きた人々の栄枯盛衰の歴史と重なり合う。

 「450年前からどうやって見つけたのか。先人が福光石を資源として活用した技と知恵は確かなものだった」。石山で石材店を経営する坪内敬夫さん(70)が驚きを隠さない。

 坪内さんは、石見吉川氏の当主・吉川経安が大阪から呼び寄せた石工の棟りょう・坪内弥惣兵衛の子孫で、14代目。

 福光石は、総じて加工しやすい利点を持つ。

 が、坪内さんが驚くのは、粉ひき臼に使う硬い石や、台所向けの耐火性が強い石、五百羅漢に活用された彫刻向けのきめが細かい石など、石の性格や特徴をつかんで、使い分けながら製品を造っていたことだ。福光地区では石山以外に十数カ所で石切り場の跡が見つかっているという。

 戦国時代後期、鉱山町があった仙の山で出会うこけむした石仏は、銀の採掘に従事した人々に心の安らぎをもたらしたに違いない。そして現在、福光石は吸音性が評価され、美術館の床材などに生かされている。

 鉱物資源の宝庫・石見。この地の恵みを基につちかわれた石の文化は、過去から未来へ連綿と受け継がれる。

2006年6月27日 無断転載禁止