(22)温泉津温泉 温泉開発が村の起源

町衆が寄進した華やかな格天井の絵を飾る温光寺薬師堂。多くの人々の病苦を救った温泉津温泉の歴史を今に伝える=大田市温泉津町温泉津温泉
 カキツバタやアサガオなど、四季折々の花を描いた端正な格天井(ごうてんじょう)が目を引く。大田市温泉津町温泉津温泉の温光寺薬師堂。七夕の夕刻に営まれた祭りで、地元のお年寄りらが湯の効能に感謝する祈りをささげた。

 中国明代に描かれた古地図に「有奴市(うぬつ)」と記された温泉津は、沖泊とともに石見銀の積み出しや石見銀山で必要な物資の輸送に活用された。文字通り「温泉がわく港」として知られ、地元の資料は温泉開発が村の始まりとなった史実を伝える。

 「温泉津はもともと、田畑も水もなく人が住めない狭い谷だった。それを戦国武将・毛利元就が銀山の採掘者を用いて切り開き、町の原形を造ったのではないか」。中世からの伝統を誇る温泉浴場・元湯を経営する伊藤昇介さん(71)が推定する。

 元就は永禄5(1562)年2月、銀山を領有し、2年後に温泉津を直轄港として支配した。

 伊藤さんは、民の病苦を救うため、温泉場を開発し薬師堂を建てた伊藤重佐の子孫で19代目。元就は重佐を温泉経営に携わる湯主に任じた。

 元湯の裏手に位置する温光寺の背後のがけに、温泉を見つけたタヌキが漬かったとされる源泉跡があり、境内の地蔵堂の地下から元湯の泉源がわき出す。

 元湯に入ると、道路から湯つぼの面まで2メートル以上、掘り下げてあることに気付く。温泉町の随所で、背後の岩を大きく切り出して家屋や寺院が建てられており、確かな技に裏打ちされた大規模な土木工事を連想させる。

 伊藤さんは、石見銀山の採掘者が町を築く一方で、「温泉が採掘者を癒やした」とみる。銀鉱石を掘り出す過酷な作業は神経症やリウマチのもととなった。湯治の効能により病が治れば、民衆の心も落ち着く。銀山開発に伴い、温泉の役割が高まった歴史を思い描く。

 江戸幕府の天領を支配した石見代官が「国の宝」とあがめ、大切にした温泉津温泉。北前船の就航で江戸期には東北や九州の人々が入湯に訪れ、戦後は被爆者の療養にも貢献した。「霊泉」を求める人々の往来は今も絶えない。

2006年7月18日 無断転載禁止