(91)神宝山八幡宮の天井絵(益田)

江戸時代の作と伝えられる神宝山八幡宮の舞殿の天井絵
舞殿を彩る先人の思い

 益田市美都町仙道の丘陵地に位置する神宝山(しんぽうざん)八幡宮の境内に立つ舞殿には、江戸時代に描かれたとみられる29枚の天井絵が現存し、往時の氏子たちのあつい信仰を伝えている。

 神楽舞が奉納される舞殿を彩る約90センチ四方の板絵は、恵比須(えびす)がタイを釣り上げた場面や、波とウサギ、鶴など、おなじみのめでたい題材を生き生きと描いた色彩豊かな作品が目を引く。虎を描いた図柄もあり、服装や背景から、中国の故事などを題材にしたとみられ、絵師の技量と高い教養がうかがえる。

 草野宝(たから)宮司(66)は、舞殿の奥に掲げられた絵馬に「文化」の文字が読み取れることから、「今から約200年前の文化年間(1804~18年)に描かれたのではないか」と推測する。

 神宝山八幡宮は、社伝によると954(天暦8)年に勧請(かんじょう)されたとされ、中世に益田を治めた益田氏の庇護(ひご)を受けた由緒ある神社だ。益田氏第11代当主・益田兼見(かねみ)が、子孫が大事にすべき寺や神社を記した1383(永徳3)年の置文に「東山道(せんどう)八幡宮」としてその名が見える。舞殿の彫刻には「上り藤に久」の益田氏の家紋が確認でき、強いつながりが見て取れる。

 豪華な天井絵は、1600(慶長5)年の関ケ原の戦いの後、益田氏が益田を離れ、須佐(山口県萩市)に移っても、八幡宮への地域住民の崇敬が変わらなかったことの証左だろう。

 今も秋祭りでは、地元の神楽社中が舞殿で奉納舞を披露する。舞い手や観客を長年、見守り続けてきた天井絵を眺めながら、草野宮司は「天井絵からは、舞殿を彩り、舞台を盛り上げようという先人の思いが感じられる。興味がある人はいつでも自由に見てほしい」と話した。

2017年4月27日 無断転載禁止