山陰の暫定2車線問題 海外編 韓国(2) 死の高速道路

早期路線整備を最優先

 死亡事故の多さから「死の高速道路」と呼ばれた道がある。1988年のソウル五輪開催を記念し光州(カンジュ)、大邱(テグ)間の交流人口を増やそうと84年に開通した光州大邱線(延長176キロ)だ。

 98~2014年には1174件の事故が起き、335人が死亡した。死亡事故率は28・5%。全国の高速道路の平均(約12%)の2倍を超えた。

 制限速度は80キロ。原因の一つは暫定2車線(片側1車線)の道路構造だ。対向車線へのはみ出し対策が無策に近く、多くの区間は中央線を示すオレンジ色のラインがあるのみ。残りも日本と同様の簡易ポールが立つだけだった。

 4車線以上で造るはずの韓国の高速道路は、1967年の整備開始直後から財源が不足。地方都市間を中心に暫定2車線区間化が常態化し、延長はピークの95年に約800キロと、70年代後半の2倍近くに延びた。

 光州大邱線には五輪開催に伴う建設予算膨張の影響も波及した。それでも建設を急いだ結果、命を失うリスクがはね上がった。


追い越し常態化

 「客の命を預かる身。光州大邱線は本当に危なく、通るときはプレッシャーを感じた」。錦湖(クムホ)高速大邱営業所の高速バス運転手金龍洙(キムヨンス)さん(53)は、身をもって恐怖感を経験した一人だ。

 2013年、客を乗せて走行中、見通しの良い直線で後続の乗用車が追い越しをかけてきた。上下線を仕切るのは中央線だけ。対向車線にはみ出して追い越しをかけるドライバーは、韓国では珍しくなかった。

 程なく、大きな衝撃音がした。乗用車は対向車線のトラックと正面衝突。「大変だ」。金さんはハンドルを握りしめた。バスには乗客がいる。なすすべもなく運転を続けた。翌日の新聞で2人が死んだのを知り、ショックを受けた。

 同僚の運転手金種洛(キムチョンラク)さん(49)も何度も、正面衝突事故の現場を光州大邱線で目の当たりにした。「あの路線は嫌だ」と乗務を渋る運転手が続出したという。

 種洛さんが憤るのは、山あいを走るため傾斜のきつい坂や急カーブが多くなり、事故が起きやすい光州大邱線が、はみ出し対策が不十分な暫定2車線で造られたこと。「危険なカーブでも反対車線に出て、追い越す運転手が後を絶たなかった」と振り返る。

 韓国道路公社によると、同線の道路規格は安全基準を満たしていた。しかし、種洛さんたちには今も、国や道路公社が安全対策よりも早期建設を重視したように思えてならない。


年間62人が死亡

 暫定2車線が常態化した背景には、高速道路整備に着手した67年当時から、輸送力の強化を目指した歴史がある。朴正煕(パクチョンヒ)大統領は「全国の主要経済圏を一日生活圏にする」と標ぼう。歴代大統領も重んじ、暫定2車線の道路網を広げた。結果として肝心の移動速度の低下も招いた。

 同営業所の運行管理者・羅泓柱(ナホンジュ)部長(53)は光州大邱線について「片側1車線のため、遅い車が前にいると予定した速度で走れず、時刻表通りに到着できない問題もあった」と指摘する。

 2000年、同線は95件の事故が起き、62人もの命が失われる異常事態に。「事故のリスクが高く、定時性も保ちにくい高速道路に高速料金を払う価値があるのか」。ドライバーたちは不満の声を上げた。

 暫定2車線の全廃へ-。国は政策のハンドルを切りつつあった。

2017年4月25日 無断転載禁止