女子ログ 古今東西イモばなし

 石見銀山を支えた人物の一人に井戸平左衛門公がいる。1731年に第19代代官として着任。サツマイモを普及させて民衆を享保の大飢饉(ききん)から救い、今なお山陰地方で「芋殿さん」と敬愛される人物だ。

 さて同じく18世紀、西洋にも芋で民衆を救った人物がいる。アントワーヌ・オーギュスタン・パルマンティエ、1737年フランス生まれの農学者。ただし芋は芋でもジャガイモのほう。ドイツでの捕虜生活でジャガイモの存在を知った彼は、「ヨーロッパの火山灰や冷害から救うにはこれしかない」と確信して普及に乗り出したのである。

 しかし容易ではなかった。当時ジャガイモは教会が“地下に潜る悪魔の植物”と断じたせいで知名度ゼロ。そこでパルマンティエは一計を案じた。パリの王立農園にジャガイモを植えて囲いを作り、兵士を雇って厳重に監視させたのである。「よほど高価なものに違いない!」。夜な夜な忍び込んで持ち出し自分の庭に植える市民が続出、一気に広まったという。

 今日フランス家庭の食卓にジャガイモ料理が上らない日はない。そしてその多くは「パルマンティエ」と親しみを込めて呼ばれている。

 東の「芋殿さん」に西の「芋博士」。2人の偉人の名は、数百年たった今も人々の食の記憶に残っている。

(大田市・ぽのじ)

2017年5月9日 無断転載禁止