外見りゃわかる

 雨模様のある日、作家の三浦朱門氏がカッパを着て外に出ようとしたら若い書生が聞いた。「先生は天気予報を見ないのに、どうして雨だと分かるんですか」▼三浦氏はあきれてひと言。「外見りゃ、わかるだろ」。自分の目で判断せず、天気予報という他人情報に頼る。やれやれどうしてこうなったんだ、「近頃の若者は」と、いつの時代も年配者がため息をつく、ちょっと古いエピソード▼その子ども世代はさらに進化した。スマホの対話アプリを使い大抵の用事を済ませる。電話をかける時は、まず「今からかける」とメールしてから。受ける方は番号が通知されても、誰だか分からない電話は無視するそうだ▼通学時に知らない人から挨拶されても返さない。家の固定電話には出ない。留守番の時は玄関のインターホンが鳴っても出ない、どころか、いることを気付かれないように息を潜める。それが躾(しつけ)の都会式生活。家の戸を開け広げるような暢気(のんき)さは過去のもの▼今やどの観光地もスマホを見ながら歩く若者で、ちょっと異様な光景に。何の説明も検索情報もないまま、まず見て感じてみればいいものを。それが「物見遊山」の極意にして、気晴らし、レジャーの目的のはず▼確かに一から解説が必要な外国人客も多いのだが、スマホ情報で「知る」より、実物見りゃ大抵のことは「わかる」。その場所に身を置きわかった範囲でしか、結局は記憶にも思い出にもならないのに、と思いながら、電脳進化を止めない若者を観察している。(裕)

2017年5月19日 無断転載禁止