紙すき職人 久保田 保一(くぼた やすいち)(浜田市生まれ)

紙すきをする久保田保一=浜田市三隅町古市場、2005年3月23日撮影
 石州半紙を世界に伝える

 石見産のコウゾを原料として作られた、丈夫(じょうぶ)でしなやかな紙を石州半紙(せきしゅうばんし)といい、国連教育科学文化機構(きこう)(ユネスコ)の無形(むけい)文化遺産(いさん)にも登録されました。その石州半紙を世界の人々に伝え、石州半紙の普及(ふきゅう)に情熱(じょうねつ)を注いだのは、浜田(はまだ)市三隅(みすみ)町出身の久保田保一(くぼたやすいち)(1924~2006年)です。

 保一は、和紙職人(しょくにん)の家に次男として生まれました。南シナ海を中心に戦争を経験(けいけん)し、1945年に帰省しました。その後、出雲(いずも)和紙の名人安部榮四郎(あべえいしろう)から石見に和紙の良い材料があること聞き、石州和紙に興味(きょうみ)を持ちました。翌(よく)年から父親に弟子入りして和紙の修業(しゅぎょう)を始め、52年に独立(どくりつ)しました。

石州和紙会館に展示されている久保田保一のすいた紙=浜田市三隅町古市場
 78年には米国で国際(こくさい)紙会議が開かれ、多くの人の前で紙すきを披露(ひろう)しました。86年からのブータン王国との交流では技術指導(ぎじゅつしどう)に行き、海外や県外から研修生を受け入れるなど、普及や継承(けいしょう)活動にも熱心でした。石州和紙を残していくためにはどうしたら良いか常(つね)に考え、その思いは周りにも伝わっていきました。

 温厚(おんこう)な人柄(ひとがら)で、特に和紙への情熱は強く、話し始めると時間が経(た)つのを忘(わす)れるほどでした。和紙を使う書道家や作家の特徴(とくちょう)、性格(せいかく)を思い浮(う)かべながら、その人に合う紙をすきました。

 保一の長男、久保田彰(あきら)さん(66)は極寒の中、黙々(もくもく)と魂(たましい)を込(こ)めて紙をすく姿(すがた)に「これが本当の職人なんだ。自分もそうなれるかな」と改めて尊敬(そんけい)したと話します。2003年から保一に紙すきを教わった、suku(すく)-suku(すく)の瀧川香織(たきがわかおり)さん(37)は「見て覚える世界だった。分からないことは気軽に聞け、詳(くわ)しく教えてくれた。熟練(じゅくれん)した技(わざ)を間近で見られたのは貴重(きちょう)だった」と当時の思い出を語りました。

 病気で亡(な)くなる直前、家族に起こしてくれと頼(たの)み、上半身を起こすと、手を動かし紙すきの動作をしました。やがて息を引き取り、最期(さいご)の瞬間(しゅんかん)まで紙すきをしていました。

82歳でした。

2017年5月31日 無断転載禁止

こども新聞