石見銀山 たんけん隊 <7時間目>

 石見(いわみ)銀山にかかわる人たちはどこに住んでいたのかな? 書物をひもといて、銀山の町の様子を想像(そうぞう)してみよう。

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最盛期(さいせいき)には20万人暮らす 

江戸時代前期の仙ノ山の中腹から山頂にかけての町の様子を再現した模型=大田市大森町、石見銀山世界遺産センター
 さとる 銀山で働いていた人はどこに住んでいたの?

 しおり 山の中は坂ばかりで住むのが大変そう。

 先生 でも山には家の材料になる木がたくさんあるよね。銀山発見直後は、間歩(まぶ)の近くに山小屋のような家を建てて銀を掘(ほ)っていたんだ。

 さとる 銀を掘る人以外はどこに住んでいたの?

 先生 銀鉱石(ぎんこうせき)から銀を取り出す作業には水が必要だから、製錬(せいれん)をする人たちは川や池の近くに多く住んでいたよ。今でも仙ノ山(せんのやま)では、住宅(じゅうたく)のために人工的に造(つく)られた平らな土地を見ることができるんだ。

 さとる 本当にそこに人が住んでいた証拠(しょうこ)だね。

 しおり 食料や服を売っていたお店もあったの?

 先生 銀山には「魚店(うおみせ)」や「京見世(きょうみせ)」という地名が残っているよ。見世は商店という意味で、そこは昔の商店街(しょうてんがい)だったのかもね。

 さとる 産銀量が増(ふ)えてきた仙ノ山には、最大で何人が住んでいたのかな?

 先生 江戸(えど)時代後期に記された「銀山旧記(きゅうき)」を見てみよう。

住宅のために造られた平らな土地=同市同町、仙ノ山
  慶長(けいちょう)の頃(ころ)より寛永(かんえい)年中大盛(おおさかり)、士(し) 稼(か)の人数二十万人、一日米穀(べいこく)を費(つい) やす事千五百石余(ごくあまり)、車馬(しゃば)の往来(おうらい)昼 夜を分(わか)たず、家は家の上に建て、 軒(のき)は軒の下に連(つら)なり…恐(おそ)らくは日 本の内、此(この)銀山に勝(まさ)る所有(ある)まじく やと申(もうし)伝えり。

 しおり 20万人も?

 先生 そうなんだ。江戸時代前期に産銀量が最盛期(さいせいき)を迎(むか)え、武士(ぶし)や労働者の人数は合計20万人、一日の米の消費量は1500石(こく)(約225トン)、人や馬は昼夜絶(た)え間なく往来した。家は隙間(すきま)がないほど建てられ、日本中で最もにぎやかなところだったと伝えられていると書いてあるよ。

 さとる 仙ノ山に今の松江(まつえ)市と同じくらいの人が住んでいたってことだね。

 しおり 今ではまったく想像がつかないわ。それだけ銀を求める人やその生活を支(ささ)える人たちが暮(く)らしていたってことね。

=もっと知りたい= どれほど栄えた町だったの?

 戦国時代後期、良質(りょうしつ)な銀が採(と)れた仙ノ山の頂上(ちょうじょう)近くにできた石銀(いしがね)集落には、大勢(おおぜい)の労働者たちが暮(く)らしていたよ。「石銀千軒(いしがねせんげん)」と呼(よ)ばれ、千軒近くの家屋が密集(みっしゅう)していたという伝承(でんしょう)があるんだ。

・石見銀山資料館(しりょうかん)学芸員・藤原雄高(ふじはらゆたか)

2017年6月28日 無断転載禁止

こども新聞