生みの親、育ての親

 生みの親、育ての親という。東京芸大の前身・東京美術学校の設立に貢献し、日本美術院を創設した岡倉天心が、日本の近代美術家たちの生みの親なら、育ての親の代表は戦前の実業家・原三溪(富太郎)だった▼天心に協力し、三溪が作品の購入などを通じて支援した作家は数多い。特に日本画が目立ち、横山大観や下村観山らはその代表格。若手世代では今村紫紅(しこう)、速水御舟(ぎょしゅう)と島根県立美術館で今、企画展を開催中の小茂田(おもだ)青樹(せいじゅ)も名を連ねる▼三溪は生糸貿易を中心に事業を展開。富岡製糸場の経営も手掛けた。一方で三井物産を創設した益田鈍翁(どんのう)と並ぶ美術品収集家、茶人としても知られる。関東大震災(1923年)の際は私財を投じて横浜復興の先頭に立ったという▼2年前、横浜に残るゆかりの庭園・三溪園内の記念館を訪ねたとき、御舟とともに青樹の名をメモに残したが、松江に1年間居て作品を描いていたとは知らなかった。大観は明治末に2週間ほど松江を訪れ、宍道湖で泳いだとの逸話も残る▼三溪園では、ともに高村光雲門下の彫刻家で天心を直(じか)に知る、安来市出身の米原雲海の名と、旧吉田村出身で晩年を松江で過ごした内藤伸の作品も目にした。天心の意向もあったと思う。雲海は原家初代の銅像も手掛けたようだ▼ちなみに内藤の出世作を即座に購入したのは大観だった。天心と三溪が生み育てたといえる近代美術家たちのつながり。ゆかりの人物の作品を通して、その一端に触れる機会が、内藤没後50年の節目に訪れた。(己)

2017年8月1日 無断転載禁止