亀井茲矩の気概

 鳥取市青谷町の漁村・夏泊はこの時季イワガキ漁でにぎわったことだろう。近年まで行われた海女漁は鹿野城主・亀井茲矩(これのり)が筑前・梶免(かじめ)村(現福岡県宗像市)の漁師・助右衛門を呼び寄せたのがきっかけだった。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、水先案内人を務めた助右衛門に夏泊の地を与え、素潜り名人だったその妻が住民に伝えたという▼助右衛門を呼び寄せたのは、将来の海外進出時に再び水先案内人として役立つとの計算もあったに違いない。何しろ茲矩は山陰から海外をにらんだ人物▼秀吉の鳥取城攻めに協力して大名に取り立てられ、どこを領地に欲しいかと問われ「琉球」と答えた話はよく知られる。江戸時代の鎖国前に東南アジアと朱印船貿易を行った大名10人のうち九州の大名以外では唯一の存在▼現在の松江市玉湯町出身で尼子の旧臣。尼子再興軍のリーダー山中鹿介は上月城(兵庫県佐用町)で毛利軍に囲まれ、茲矩が勧めた撤退を拒んで結局、命を落とす▼一方、茲矩は生き抜いて大事を成し遂げた。貿易のほか、因州和紙の生産振興、銀山開発も手掛け、商才を発揮した。息子が国替えで津和野藩主となってから今年は400年の節目。茲矩の足跡も見直したい▼人工流れ星の事業化を目指すベンチャー企業の創業者が鳥取市出身の女性という話は以前本欄で紹介した。未知の世界にロマンを抱く山陰人の精神が誇らしい。今回は失敗したが「ホリエモンロケット」打ち上げは再挑戦するという。我もと、山陰人が奮起するといい。(志)

2017年8月2日 無断転載禁止