記憶を抱き戦を封じる

 終戦から72年、終戦記念日の15日は、山陰各地でも戦没者への慰霊の祈りが捧(ささ)げられた。日本上空に何かが飛び来る重苦しい不安の中にあっても、いつもの年と同様、鎮魂と戦後平和をかみしめる一日が静かに過ぎていった▼グアム沖を狙う北朝鮮のミサイルに備え、島根県内に迎撃用パトリオットが配備された。日本はどこかと戦をするつもりなど毛頭ない。本当に飛ばすつもりか。こういう衝突は、迷惑な「もらい戦」とでも呼ぶのだろう▼随筆家の山本夏彦はかつて「原爆を遅れてつくってどこが悪い、と北朝鮮は言うに決まっている」と見抜いていた。そんな国際法破りの身勝手やアメリカとの政治的駆け引きに、日本の平和が脅かされてはたまらない▼山本は「日米開戦になっても空襲があるまでは、曲がりなりに戦前の生活は続いた」と書いた。帝国ホテルでフルコースが饗(きょう)され、農村はひもじさとは無縁。しかし、気が付くと平和な「戦前」は終わり、国民は戦争への一本道に立たされていた▼「一発の銃声」が戦端を開くのは歴史の教訓だが、今回のミサイル危機は対処の仕方が定まらない。大不況につながるといわれるが経済はむしろ活気づく。楽観に支配された「戦前」と、どこか似てはいないか▼日本人にとって「戦後」は、生々しい戦争の記憶を抱きながら駆け抜けた時代だった。その思いが戦争というパンドラの箱を封じるカギだったのだろう。記憶の断片が集まってできたそのカギを、風化させ、手離してはならないのだ。(裕)

2017年8月16日 無断転載禁止