世事抄録 台風と親父の背中

 7月、久しぶりに鹿児島に帰省。滞在数日目、島根県西部を豪雨が襲った。全国ニュースは、留守宅のある地域に避難指示が出たことを伝え、画面には家のそばの川を濁流が下る様子が映る。隣家の人に連絡をするとわが家も含め、近隣には被害がなかったとのこと。ほっとした刹那(せつな)、幼き日の台風と亡き父の姿を思い出した。

 生まれ育った阿久根市は、ルース台風など大型台風の通り道である東シナ海に面していた。家は父の職場から500メートルほどの高台にある古い一軒家で、台風襲来の報を受けると父は上下黒のかっぱに脚半を巻き、職場にある材木の保管所まで何往復もし、板を運んだ。雨に負けじと「軍艦マーチ」を口ずさみながら老朽化した雨戸に板を打ち付つけていた。最強の父の背中がそこにあった。

 夜半、弟2人と3人で布団に入り、明日の学校の休校を願っていると、そっとふすまが開いた。父が様子を見に来たのだ。弟と目を合わせ、寝たふりをした。父の存在が、安心感を与えてくれたのだろう。激しい風雨の音も揺れる家も不思議と怖くなかった。

 翌朝、何事もなかったように父は職場に向かった。大きかった親父(おやじ)の存在。65歳で亡くなった父はあの頃40代半ば。孤軍奮闘していた姿を思うと胸が熱くなる。休校を共に願った次弟は、40代で台風のないところに旅立った。

       (浜田市・清造)

2017年8月17日 無断転載禁止