石見銀山 たんけん隊 <11時間目>

 1562(永禄(えいろく)5)年、尼子(あまご)に勝利し、石見(いわみ)銀山を手に入れた毛利(もうり)。毛利はどのように銀を利用したんだろう。毛利と銀山の関係をひもといてみよう。

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毛利、軍事目的に銀利用

1599(慶長4)年、毛利の家臣から現地(げんち)役人へ出された書状(しょじょう)。1~3行目に「今年の銀山と温泉津の税金(ぜいきん)を3万枚に定める」と記されている
 さとる 毛利はどうやって銀山を38年もの長い間支配(しはい)したの?

 先生 毛利元就(もとなり)は、まず銀山そのものを朝廷(ちょうてい)に献上(けんじょう)して、自ら朝廷の代理として民政(みんせい)に当たる「代官(だいかん)」になることを申(もう)し出たんだ。

 しおり なるほど。朝廷のお墨付(すみつ)きをもらって、他の大名(だいみょう)が攻(せ)めてこないようにしたんだね。

 先生 それから銀や物資(ぶっし)の輸送(ゆそう)の要(かなめ)となる温泉津(ゆのつ)を直接(ちょくせつ)支配し、銀山と一体で守りを固めたよ。

 さとる 万全(ばんぜん)の態勢(たいせい)で銀山を守ろうとしたんだね。

 しおり 毛利は銀を何に使ったのかな?

 先生 元就は軍事目的に銀を利用したんだ。

 しおり 戦国時代の戦乱(せんらん)を生き抜(ぬ)くためには相当な資金(しきん)が必要だったのね。

 先生 武器(ぶき)を入手するだけでなく、戦いの遠征先(えんせいさき)でお米を買うために使われることもあったよ。

 さとる まさに「腹(はら)が減(へ)っては戦(いくさ)ができぬ」だね。

 先生 元就の孫、輝元(てるもと)の時代になると、厳島(いつくしま)神社(広島県)を建て替(か)える費用としても使われたんだ。

 さとる 厳島神社は毛利の守り神だもんね。

 しおり 同じ世界遺産(いさん)同士でそんな結びつきがあったのね。

 さとる 毛利は銀山からどのくらい銀を徴収(ちょうしゅう)していたの?

 先生 最初は年間3千枚(まい)(1枚=約160グラム)程度(ていど)だったよ。それが関ヶ原(せきがはら)の戦いの直前には、温泉津も含(ふく)めて3万枚にまで膨(ふく)れ上がっていたんだ。

 しおり たくさん銀が採(と)れたから?

 先生 それもあったけど、毛利は産銀量に応(おう)じて徴収するのではなく、毛利自身が必要なだけ銀を納(おさ)めさせていたんだ。

 さとる 銀山で働く人たちは、毛利の要求に応(こた)えるために必死に銀の採掘(さいくつ)に励(はげ)んだんだね。

=もっと知りたい= 厳島神社とのつながりは?

 銀山の経営者(けいえいしゃ)らが1568(永禄(えいろく)11)年から1607(慶長(けいちょう)12)年にかけて、神社をつなぐ廊下(ろうか)を改築(かいちく)するときに寄付(きふ)をしたんだ。1584(天正(てんしょう)12)年には毛利の家臣(かしん)が銀製(ぎんせい)の狛犬(こまいぬ)を贈(おく)っているよ。

・石見銀山資料館(しりょうかん)学芸員・藤原雄高(ふじはらゆたか)

2017年8月23日 無断転載禁止

こども新聞