鉄路にかけた地域の情熱

 JR木次線を望む奥出雲町の八川町民運動場に、絲原武太郎(故人)の銅像がある。松江藩の鉄山師を務め、たたら製鉄を経営した絲原家の13代当主。中国山地の鉄山師の中で鉄道まで敷設した人物はまれだ▼木次線の前身・簸上鉄道は絲原が社長を務め、私鉄として建設。今年の木次線全線開通80周年を機に、雲南市木次町の「八日市地域づくりの会」が出版した「簸上鉄道の開通と木次線」によって、歴史的な背景に光が当てられた▼本から圏域の未来を鉄路にかけた地域の情熱が伝わる。簸上鉄道は会社設立から、わずか3年3カ月後の1916年10月、宍道-木次間が営業開始。松江と沿線の「だんさん衆」が費用の半分、残る半分を住民が出し猛烈な勢いで造られた▼先を見通し、したたかな戦略を描いた武太郎の手腕も浮かび上がる。簸上鉄道はレール幅の狭い軽便鉄道として認可されたにもかかわらず、国鉄と同一幅だった。武太郎の知恵で、木次以南の中国山地を越す難工事区域は国に建設してもらう構想を描き実現させた▼そうした木次線の撮影スポットを見つけ楽しむ写真塾が、雲南市などで開かれた。講師の鉄道写真家・中井精也さんは、3段スイッチバックなどの見どころを挙げ、撮影地を訪れたいと思わせるトロッコ列車と風景が一体となった自作を披露した▼明治期、山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡鉄道の計画が次々と挫折した中、唯一完成した木次線。80周年を撮ってよし、乗ってよしの魅力に、県民が触れる好機としたい。(道)

2017年8月31日 無断転載禁止