出雲・荘原小学校6年 ふるさと荘原にも戦争あった

出雲市戦没者追悼・平和祈念式典で平和へのメッセージを発表する荘原小の錦織柚希さん(右)と永見研太君(左)
 出雲市立荘原小学校(同市斐川町神庭)では、6年生が進める平和学習で「ふるさとに戦争があった頃(ころ)の様子について調べよう」に取り組んでいます。修学旅行で被爆(ひばく)地・広島を訪れた後、郷土史家の方から「荘原に戦争があった頃の話」を聞いたり、戦時中、荘原村国民学校の生徒だった皆さんや、大阪市立堀江国民学校から荘原村へ学童疎開(そかい)していたみなさんの体験を聞いたり、現在も町内に残る戦争遺跡(いせき)を見学する活動を実施しました。戦争と平和について身近な出来事としてとらえ、考えようとしている児童たちの思いを紙面で紹介(しょうかい)します。


ふるさと発!!平和メッセージ
~出雲市戦没者追悼・平和祈念式典での作文発表から~

幸せに感謝 体験語りつぐ

児童たちを前に、70年前の荘原の出来事について話す池橋さん(正面)
(何だかこわくて不気味だな。)

 6月1日、修学旅行の目的地、美しい広島の街並みの中にひっそりと建つ原爆(げんばく)ドームを見た時、私は、初めて見た感動よりもこわさを強く感じました。

 その平和公園で、私たちは被爆(ひばく)体験をお持ちの方と出会いました。わずか、5才のときに被爆し、兄弟を亡(な)くされるつらい思いをされた方でした。

 「一日中、男の子のなきがらをずっとながめていても、何も感じなかった。広島は、死が当たり前の状況でしたから」。あの日のことを正直な気持ちで語られた、信じられないような一言でした。

 建物を破壊(はかい)し、人の命を奪(うば)うだけでなく、人の心や感覚までも壊(こわ)してしまうのが戦争なんだと、その時、初めて知りました。

 修学旅行の後、私たちは荘原の歴史にくわしい池橋達雄先生と出会いました。そして、海軍大社基地のこと、昭和20年7月28日の空襲(くうしゅう)、人間爆弾(ばくだん)「桜花(おうか)」を実際に戦争に使う準備が荘原で進められたことなど、平和な町・斐川町で70年ほど前に起きた出来事を教えていただきました。

 身近な場所で、命を失った方がいること、危険と隣(とな)り合わせの生活が当たり前だったことを知り、私たちのふるさとでも本当に戦争があったことを思い知らされるような気持ちでした。

戦時中の銃弾の後が残る新川鉄橋を見学する児童たち
 池橋先生は戦争の跡地(あとち)へも案内してくださいました。新川鉄橋を支える分厚い鉄板を銃弾(じゅうだん)が貫(つらぬ)いた跡を見ながら、私は「鉄橋のすぐそばにある親戚(しんせき)の家は、家族は、その時無事だったのだろうか」と心配になりました。

 戦争跡地めぐりで出会った方は、家のすぐ隣に戦闘機(せんとうき)「銀河」が置かれていたこと、銀河の誘導路(ゆうどうろ)を造るため、一晩で田畑が埋(う)め立てられたことなどを聞かせてくださいました。「お国のために始められた戦争が、いつの間にか国民を苦しめる方向へ進んでしまった」と語られた一言は、心に重く響(ひび)きました。

 私たちは、戦時中に小学生だった皆さんとも出会いました。はだしで登下校したこと、消しゴムさえも手に入らなかったこと、校庭が畑に変わり、教室が予科練の宿舎となったこと、そして、7月28日、頭上をアメリカ軍の戦闘機が銃撃(じゅうげき)しながら通り過ぎたことなど、語られた一つ一つが自分たちの生活とかけ離(はな)れていて、びっくりすることばかりでした。

 中でも、強く心に残ったのは、「まずい物は一つもなかった。白いご飯が食べられるのは幸せだった」という言葉でした。白いご飯を「ごちそう」だと思ったことのない私たちに、当たり前に食べられるのは幸せだと教えてくださっているように聞こえました。そして、つらい生活の中でも「幸せ」を見つけ、生き抜(ぬ)くことが大切だとメッセージを送ってくださっているようにも感じました。

 私たちは、戦時中、大阪から荘原へ疎開された、瀬戸寛治さんたちとも交流をしています。ビデオメッセージや手紙を通しての交流です。半年に一度しか両親と会えないさみしさ、ゴマシオを大切に食べて空腹をしのいだ満たされない生活、卒業式のために大阪に帰った直後に体験した大阪大空襲(だいくうしゅう)など、さまざまな体験を聞かせてくださいました。私は、大人も子どもも、大都市も田舎(いなか)も、日本中の誰(だれ)もが戦争に巻きこまれたことを実感しました。

 瀬戸さんたちのお話の中で、強く印象に残った言葉があります。「お寺の近くの家にもらい湯に行くと、荘原の方がイモをふかして食べさせてくださった。今でもその優(やさ)しさを忘れることができません」という言葉です。

 心が追いつめられていても、優しさや思いやりにふれたとき、だれでも安らぎや感謝の気持ちを持つことができると、教えてくださっているようでした。

 私たちは、今、平和のために自分にできることは何かを考え続けています。戦争体験を語りつぐこと、「幸せが当たり前の今」を築いてくださった先人に感謝すること、そして、思いやりをもって支え合うことが平和の実現につながる、という学びを大切にしたいと思います。

 私たちにできることは、小さなことしかありません。でも、平和学習を通して出会ったたくさんの皆さんの思いを大切にして、まず、自分の周りから、思いやり、支え合うつながりを作っていきたいと思います。

 平成29年8月6日 出雲市立荘原小学校

 児童代表 6年 錦織 柚希 

         永見 研太 


斐川町内戦争跡地めぐり 考えたこと・感じたこと

荘原にある旧海軍大社基地関連施設についての、池橋さんの話に耳を傾ける児童たち
広島と長崎だけでない

 心に残ったことは、斐川町にも戦争があったことです。私は今まで戦争は広島と長崎だけだと思っていたけれど、池橋先生のお話を聴いて、斐川町でも戦争があったことを知りました。 

(岡田吏生)

身近な道路にも弾の跡

 池橋先生と戦争跡地(あとち)めぐりをして、心に残ったことがあります。新川鉄橋の銃弾(じゅうだん)の跡を見て、いつも通る身近な道路にも、昔戦争で戦闘機(せんとうき)から撃(う)たれた弾(たま)の跡が残っていることです。実際、ぼくはこれまで「こんな田舎(いなか)に戦争なんてなかった」と思っていたけど、やっぱり戦争は日本中どんな場所でもあり、犠牲(ぎせい)者はあちこちにいたことが分かりました。 

(奥本優陽)


旧国民学校生徒の話

「上級生が先生」にびっくり

旧荘原国民学校に通ったお年寄りから戦時中の話を聴く児童たち
 ぼくがお話を聴いて、一番心に残ったことは学校のことでした。(当時の)荘原小学校には予科練の兵隊さんがいて、あまり勉強ができなかったと言っておられました。雨の日には飛行場の工事がなく、兵隊さんが学校に一日中いるためお休みで、子どもたちは地区に分かれて上級生が先生の代わりになって勉強していた、と言われたときはびっくりしました。

 給食は、米がある人は米の弁当、米がない人はおかゆやカボチャ、サツマイモなどを食べていたと言われ、米がある人とない人で給食が変わるんだなぁと思いました。

 しかも、この時代は物が少ないので、野球がしたいときは、バットは竹を切り、グローブは母親に布でぬってもらい、ボールは物を丸めて糸で巻いて作ったと聞いて、今は物が豊富だと思いました。

(日野 聖)

「いつも通り」がなかった

 私は、戦争中に小学生だった地域の皆さんにお話を聴いて、食べ物について興味を持つことができました。

 「何でもおいしかったよ」「白いご飯が食べられるのは幸せなこと」というお話は、今ではありえないことです。ほしい物があればすぐに買ってくることができる。この「いつも通り」が戦争中にはなかったと思うと、分けてあげたいという気持ちになります。戦争はつらいことだらけで、大変なことしかないとあらためて思いました。

 でも、ほんの小さなことでもいいから、「幸せ」を戦時中の暮らしの中から見つけたいとも思いました。食べ物や飲み物がある平和な時代をこれからも続け、だれ一人戦争でつらくなったり、亡(な)くなったりすることがあってはいけないと、今日のお話を聴いて実感することができました。

(清水京香)


学童疎開体験者へお礼の手紙

帰りたかったのだな

平和学習で学童疎開体験者から送られたビデオレターを見る児童たち
 平和学習でビデオレターを見ました。そして、私のふるさと荘原にも疎開(そかい)されていた人がたくさんいらっしゃったことを知りました。その中で心に残ったことを書かせていただきます。

 一つ目は、お寺から逃(に)げ出した子どもたちのことです。お母さんや家族の方がいるふるさとへすごく帰りたかったのだなと思います。私もずっと家族と会うことができなくなったら、きっと逃げ出していたでしょう。

 二つ目は、大阪大空襲(だいくうしゅう)のことです。たくさんの焼夷弾(しょういだん)が大阪の街に降り注ぎ、街をすべて焼きつくし、街には人の死体がゴロゴロとあったことです。広島や長崎だけでなく、他の県にも多くの被害(ひがい)、死者が出ていたことも知りました。

(錦織心寧)


「敬老の日」にはもっと話聞こう

編集後記

 9月18日は「敬老の日」。この日は、だれもがおじいちゃんやおばあちゃんをもっと大切にしようという日だよね。「大切にする」って、どうすることなんだろう。私たちは、これまでの平和学習を通じて、「おじいちゃんやおばあちゃんたちが子どもだったころの話をじっくり聞くこと」が大切だと感じたよ。同じふるさとに住む私たちだけど、今とはまったくちがう体験をたくさんしていらっしゃるみなさんのお話を、もっともっと聞きたいなと思ったんだ。

2017年9月7日 無断転載禁止

こども新聞