「カラオケ型」の文化継承

 江戸時代中期から昭和の初めまで、出雲大社に続く神門通りの芝居小屋では、糸操り人形が参拝客にも人気だった。戦時中に廃れたが人形や小道具、舞台装置が残る。先月、出雲市が保管するその一部を見せてもらい、往時の活気を伝える人形の不思議な力を感じた▼糸操り人形は各地で上演されていたが、今も実動するのは島根県無形民俗文化財の益田糸操り人形(益田市)や安田の糸操り人形(山口県周南市)などわずか▼約70センチの人形を十数本の糸で操る益田に比べて大社は約50センチと小型で糸が少なく、構造が素朴なのが特徴。故杉野橘太郎早稲田大教授は、「出雲系あやつり人形調査誌」(1962年)で大社の人形を出雲系と呼び、「わが国現存の最古の人形の型を残す」とした▼面白いのは大社に残る人形は、出雲系と益田などの進化した江戸系の2種類がある点だ。明治まで座元だったのは地元出身で歌舞伎の始祖とされる出雲阿国の子孫による「大社御免御賑操座中村紋五郎」。その後、座の手を離れて途絶え、明治30年代に神門通りの旅館の店主たちが復活させ、昭和初期に益田から人形を買い取った▼大社を視察した日本伝統文化専門のアンドリュー・ガーストルロンドン大教授は、「日本の文化は、観賞にとどまらず市民が自分たちでやる点がすごい。日本発祥のカラオケも同じ発想だ」と指摘した▼大社糸操り人形は昨年、地元住民が保存会を設け、復活に動き始めた。門前町をにぎわせた古典文化の再生の兆しに心が躍る。(衣)

2017年9月14日 無断転載禁止