陸上100メートル3度の世界タイ 吉岡 隆徳(通称りゅうとく、出雲市出身)

陸上100メートルに大きな業績を残した吉岡隆徳
ロス五輪決勝で6位入賞

 現在(げんざい)の出雲(いずも)市湖陵(こりょう)町で生まれた吉岡隆徳(よしおかたかよし)(通称(つうしょう)りゅうとく、1909~84年)は1935(昭和10)年、陸上男子100メートルで当時の世界タイ記録である10秒3を達成しました。また、32(同7)年のロサンゼルス五輪男子100メートル決勝では、東洋人で初めて6位入賞を果たすなど100メートルに大きな業績(ぎょうせき)を残しました。

 神職(しんしょく)の四男として生まれた隆徳は小学校卒業後、同市斐川(ひかわ)町の神職・吉岡家の養子(ようし)となります。

ロサンゼルス五輪陸上男子100メートル決勝で6位入賞した吉岡隆徳(左上の鉢巻(はちま)きの人)=1932年8月1日、米国カリフォルニア州
 2歳(さい)ごろ、自分がたたいた太鼓(たいこ)の「ドン」という音に驚(おどろ)き、気絶(きぜつ)してしまいました。音に敏感(びんかん)だったことが、100メートルスタート時のピストルへの素早(すばや)い反応(はんのう)に生きました。

 小学校の時は、行き帰りに加え、お昼ご飯を家で食べるため往復(おうふく)2キロの砂丘(さきゅう)の中の坂道を駆(か)け足で歩いたことによって、足の筋肉(きんにく)が知らず知らず鍛(きた)えられました。

 現在の島根大学教育学部から筑波(つくば)大学に進学。在学中の30(同5)年、極東競技(きょくとうきょうぎ)大会男子100メートルで日本人として初めて優勝(ゆうしょう)し、晩年(ばんねん)、本人が「思い出に残る三つのレース」の1番手に挙げています。35年には10秒3の世界タイ記録を3度出しました。

吉岡隆徳記念第71回出雲陸上の招待男子100メートルで、10秒08で優勝した東洋大の桐生祥秀選手(中)=4月23日、島根県立浜山公園陸上競技場
 走りの特徴(とくちょう)は当時、世界最速を誇(ほこ)ったスタートダッシュ。身長が165センチという小さい体のハンディを補(おぎな)うため、努力と研究を重ねて低い体勢(たいせい)のスタートを生み出します。古代、日本の美称(びしょう)「日出(ひい)ずる(=朝日が昇(のぼ)る)国」の、隆徳の爆発(ばくはつ)的スタートは「暁(あかつき)の超特急(ちょうとっきゅう)」と称(たた)えられました。

 色紙(しきし)には必ず「努力」と書きました。「力」の「ノ」の字が下にまっすぐ伸(の)びた独特(どくとく)の字で、一直線の100メートルを表現すると同時に一筋(ひとすじ)の道(=陸上)を進む意味を込(こ)めました。「わが人生一直線」というタイトルの自伝を書き残しています。84(同59)年、がんによって74歳で亡(な)くなりました。

 業績(ぎょうせき)をたたえ、古里(ふるさと)の湖陵総合(そうごう)公園に顕彰像(けんしょうぞう)が建立(こんりゅう)され、毎年、吉岡隆徳記念出雲陸上競技大会が県立浜山公園陸上競技場で開かれています。また、幼少(ようしょう)期を過(す)ごした斐川町の家は「アカツキハウス」と名付けられ、芸術(げいじゅつ)家の創作(そうさく)活動の拠点(きょてん)として約20年間、活用されました。

2017年9月20日 無断転載禁止

こども新聞