石見銀山 たんけん隊 <13時間目>
江戸(えど)時代に入ると、形や重さを統一(とういつ)した銀のお金が造(つく)られるようになったよ。石見(いわみ)銀山の銀も貨幣(かへい)に加工され、全国で使われたよ。
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形など統一(とういつ)し銀(ぎん)をお金に

しおり それまではどうだったの?
先生 中国から輸入(ゆにゅう)した銭(ぜに)がお金の中心だったよ。それが石見銀山の発見をきっかけに国内の金銀山の採掘(さいくつ)が活発になり、金や銀もお金として使われ始めたんだ。
さとる 石見銀山でも製錬(せいれん)した銀が貨幣に加工されていたよね(=写真1)。
しおり 葉っぱのような形をしてたわ。

さとる 銀ははかりで重さを量って使ったんだよね。
しおり 今のお金みたいに見た目ですぐ分からないから計算が大変そう。
先生 だから家康は大きさや重さ、銀を含む割合(わりあい)などをそろえた貨幣を造らせたよ(=写真2)。江戸や京都にあった、貨幣を造って発行する場所は「銀座(ぎんざ)」と呼(よ)ばれたんだ。
しおり 東京の銀座の地名はその名残(なごり)ね。
さとる ということは、江戸時代になると銀山では貨幣が造られなくなるの?
先生 そうなんだ。銀山の銀は、毎年11月頃(ごろ)に京都の銀座へ輸送(ゆそう)されて、そこで貨幣になるんだよ。
さとる 鞆ヶ浦(ともがうら)(大田(おおだ)市仁摩(にま)町)や温泉津(ゆのつ)(同市温泉津町)の港から運ぶの?
先生 尾道(おのみち)(広島県尾道市)の港まで、約130キロを3泊(ぱく)4日かけて馬や牛が運ぶんだ。
しおり 尾道からはどうするの?
先生 尾道からは船に積んで、港を経由(けいゆ)しつつ大坂まで運び、そこから京都や江戸へ輸送したよ。
しおり 瀬戸内海(せとないかい)は波も穏(おだ)やかだから安心ね。
さとる 石見銀山の銀が銀座で貨幣に生まれ変わり、全国に出回っていたんだね。
=もっと知りたい= 銀貨のデザインは?
海にすんでいるナマコのような形で「丁銀(ちょうぎん)」と呼(よ)ばれたよ。丁銀には貨幣(かへい)を造(つく)る責任者(せきにんしゃ)・大黒常是(だいこくじょうぜ)の名前にちなみ、七福神(しちふくじん)の大黒(だいこく)さんの姿(すがた)と、「常是」「寶(たから)(宝)」の文字が刻(きざ)まれていたよ。
・石見銀山資料館(しりょうかん)学芸員・藤原雄高(ふじはらゆたか)
2017年9月20日 無断転載禁止