石見銀山 たんけん隊 <14時間目>

 江戸(えど)時代、石見(いわみ)銀山では多くの武士(ぶし)たちが知識(ちしき)を生かして、銀山の管理に当たっていたよ。武士にはどんな役割(わくわり)があったのかな?

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地役人(じやくにん)の武士(ぶし)が銀山管理

代官(だいかん)が銀山を訪(おとず)れ、地役人に最近の間歩(まぶ)の状況(じょうきょう)や銀山の様子などを報告させる場面(石見銀山絵巻(えまき))
 先生 徳川幕府(とくがわばくふ)が直接支配(ちょくせつしはい)する全国の「天領(てんりょう)」では政務(せいむ)を担(にな)う代官(だいかん)と、それを補佐(ほさ)する十数人の役人が支配に当たっていたんだ。

 しおり どんな仕事をしていたの?

 先生 地域(ちいき)から年貢(ねんぐ)を集めたり、今の警察(けいさつ)や裁判(さいばん)に関(かか)わるような仕事をしたりしていたよ。

 さとる 銀山を管理するには専門(せんもん)的な知識が必要だから、相当勉強しないと難(むずか)しいんじゃないかな。

 先生 そうなんだ。しかも代官とその役人たちは数年の周期で交代するからね。だから銀山の仕事に専任(せんにん)する「地役人(じやくにん)」と呼(よ)ばれる武士を採用(さいよう)して、子孫(しそん)代々その任に当たらせていたよ。

 しおり 銀山を管理するプロフェッショナル集団(しゅうだん)ね。

 先生 そうだね。全国の天領でも地役人が置かれた場所は少なく、銀山支配の特徴(とくちょう)の一つなんだ。

 さとる 地役人は何人くらいいたの?

 先生 約100人いたよ。代官所の中で働く人もいれば、間歩(まぶ)の入り口に設置(せっち)された役所に詰(つ)めている人もいたんだよ。銀座(ぎんざ)への銀の輸送(ゆそう)も地役人の大切な仕事の一つさ。

 しおり 1日どのくらい働いたの? お休みはあったの?

 先生 仕事はだいたい午前9時から午後3時までで、残業することもあったみたい。休日は元日、端午(たんご)(5月5日)や七夕(たなばた)などの節句(せっく)の日くらいかな。

 しおり 休みが少なくて大変そうね。

 先生 仕事の後にはお茶や生け花、俳句(はいく)などをして過(す)ごしていたよ。そこでは身分を超(こ)えて町人や山師(やまし)(=間歩の経営(けいえい)者)と一緒(いっしょ)に楽しむこともあったんだ。

 さとる 銀山のふもと、大森の町では武士が商人、職人(しょくにん)らと共(とも)に暮(く)らしていたんだね。

=もっと知りたい= 地役人の仕事内容は?

 間歩(まぶ)の中では採掘状況(さいくつじょうきょう)の検査(けんさ)や作業の指示(しじ)をしたよ。銀鉱石(ぎんこうせき)を製錬(せいれん)するときに立ち会ったり、採掘にかかるお金を計算したりするのも大切な役割(やくわり)だったんだ。銀の輸送(ゆそう)には責任者(せきにんしゃ)として銀座(ぎんざ)まで同行したよ。

・石見銀山資料館(しりょうかん)学芸員・藤原雄高(ふじはらゆたか)

2017年10月4日 無断転載禁止

こども新聞