(98)歩兵第21連隊記念碑(浜田)

歩兵第21連隊記念碑
勇猛部隊の面影後世に

 1898年に広島から浜田市黒川町に転営した旧陸軍歩兵第21連隊(通称・浜田連隊)。日露戦争や太平洋戦争に県内から数多くの兵士を送り、勇猛果敢な部隊として名をはせた。連隊の存在を後世に伝える記念碑は高さ3・4メートル、幅4・5メートル、重さ25トンで三隅川上流の御影石でできている。

 連隊出身者で組織する歩二一会の浜田連隊史(1973年)によると、1964年に浜田高校の校舎新築に伴い、旧兵舎の撤去が決まった。連隊の面影がなくなるのを憂慮した会員が設置を計画し、有志に呼び掛けて募金を集め、66年に完成した。敷地には歩哨の詰め所も保存されている。

 記念碑の揮毫(きごう)は陸軍少尉として21連隊が初任地だった辰巳栄一。戦後、影の軍事顧問として吉田茂を支え、連合国軍総司令部(GHQ)との調整役として自衛隊の創設に関与した。辰巳が浜田にいたのは1年ほどだったが、妻が江津市桜江町の出身という縁があり、戦後も頻繁に浜田を訪れた。

 辰巳の定宿を経営していた浜田市片庭町の上田安子さん(82)は「石碑の裏側に刻む字の練習をうちの2階で繰り返していた。予算がなくて刻まれず、大変悔やんでおられた」と振り返る。辰巳は明治天皇の詠んだ歌を刻むつもりで、下書きは夫の史朗さん(86)が大切に保存している。

 記念碑は保存会が管理していたが、隣接する浜田高校によると、2003年を最後に保存会とは連絡が取れず、同校が草取りなどの手入れを担っているという。

2017年10月5日 無断転載禁止