記憶とは…問う文学賞

 数年前からひょっとしたらと思っていたが、今年のノーベル文学賞に日系英国人作家のカズオ・イシグロさんが決まった。英文学の世界では人気作家の一人で、日本関係では村上春樹さんと並ぶ候補との評価もあった▼日本では昨年、臓器提供のためのクローンとして生まれた若者たちを描く『わたしを離さないで』がテレビドラマになり、その前年には、10年ぶりの長編となる『忘れられた巨人』が発売されて話題になった▼イシグロさんは日本人・石黒一雄として長崎で生まれ、5歳の時に海洋学者の父に付いて家族で渡英。その後、英国籍を取得した。62歳。母語は英語。作品も英語で執筆し、日本には翻訳本が並ぶ▼イシグロ作品との出会いは、原爆の影を背景にした『遠い山なみの光』と、敗戦とともに没落した老画家の苦悩を描く『浮世の画家』が最初。どちらも舞台は戦後間もない日本だが、実際の記憶は薄く、小津安二郎監督の映画を参考に描写したという▼英国最高の文学賞を受けた『日の名残り』は、戦時中、ナチスに協力する結果になった英国貴族に仕えた老執事の物語。いずれも戦争による価値転換など不条理な世界で自らの過去の清算に悩む姿が一人称で語られ、読者に薄明かりを探させる▼それは、過去の「記憶」が不確かな方が幸せなのかという問い掛けでもある。「世の中が不安定な状況の中で、小さな形でも平和に貢献できれば」と受賞決定後に話したイシグロさん。「幸せ」を「平和」と置き換えて考えてみたい。(己)

2017年10月7日 無断転載禁止