イシグロ氏にノーベル文学賞/記憶の問題書き続ける

 川端康成氏、大江健三郎氏に次いで、日本人関係では3人目のノーベル文学賞の受賞がカズオ・イシグロ氏に決まった。

 イシグロ文学の特徴は「記憶」である。記憶を自己の都合でゆがめてしまう人間存在と、歴史という社会・国家の記憶を勝手に曲げてしまう共同体の問題。さらに個人は全てをはっきり記憶していたら幸せなのか。社会・国家が恣意(しい)的にゆがめてしまった記憶・歴史はどうしたら正せるか。記憶を巡って何重にもふくらんでいく作品世界を、繊細かつ幻想的な文体で描く。

 6世紀ごろの大ブリテン島を舞台に騎士や竜などが登場するアーサー王伝説を使いながら書いた2015年刊の「忘れられた巨人」でも、遠くにいる息子を訪ねる老夫婦のあいまいな記憶とともに、人々が生きる共同体の記憶の在り方を描いていた。

 英文学最高のブッカー賞を受賞し、一躍英文学の旗手として世界に知られるようになった「日の名残り」も、英国人執事の旅と記憶の回想を描いた物語だ。長崎市生まれのイシグロ氏は5歳の時、海洋学者の父の仕事で英国に渡り、英国の大学で文学、創作を学んだ。

 ほとんど日本語は話せず、英語での執筆だが、デビュー作「遠い山なみの光」と2作目「浮世の画家」は日本が舞台。自分のことを書いた小説ではないが、英国で育ったイシグロ氏にとって、まず小説は少しずつ遠のいていく日本の記憶をつなぎ留める表現手段だった。

 11歳の時、母親と一緒にテレビで見た小津安二郎監督の「東京物語」で長崎の記憶がよみがえった。映画好きで自分の小説にも小津監督や成瀬巳喜男監督の影響を認めている。受賞決定後の会見でも「物の見方、世界観、芸術的な感性には日本が影響している。私の一部はいつも日本人だと思っている」と語った。

 映画化されベストセラーとなった「わたしを離さないで」ではクローン人間や臓器移植の問題に取り組むなど、繊細な文学の中に常に現実世界の問題を描く作品が多い。

 村上春樹氏とも親しく、村上氏は「カズオ・イシグロのような同時代作家を持つことは、大きな喜び」と書いている。受賞決定後の会見でイシグロ氏は「偉大な作家が受賞をしていないので少し罪悪感を覚える」と述べ、村上氏の名を挙げた。

 イシグロ氏は、その村上作品の特徴として「リアリズム・モードをうまく破ることができる」と指摘。これができる作家としてカフカ、ガルシア・マルケスらを挙げた上で、村上氏の文学について語った。その「リアリズム・モードをうまく破ることができる」のは、まさにイシグロ文学の特徴でもある。

 スウェーデンアカデミーが、イシグロ氏の作品について、英国作家のジェーン・オースティンと、チェコのカフカの要素を併せ持つと評価したのも、人間ドラマとして物語性のある文学と寓意(ぐうい)性に富む文学の融合としての作品について、言及したのだろう。

 イシグロ氏の小説を翻訳刊行する早川書房は計22万5千部の増刷を決めた。発行部数は総計120万部となるという。日本の読者も多いイシグロ氏のノーベル賞受賞を心から喜びたい。

2017年10月7日 無断転載禁止