石見銀山 たんけん隊 <16時間目>

井戸平左衛門(井戸神社所蔵)
 石見(いわみ)銀山を取り仕切った代官で、多くの人々の命を救った人がいるよ。今日は井戸平左衛門(いどへいざえもん)(1672~1733年)について学ぼう。

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人々の命救った井戸(いど)代官

 さとる 石見銀山で一番有名な代官は誰(だれ)なの?

 先生 第19代代官の井戸平左衛門かな。

 しおり 「いも代官」と呼(よ)ばれていたのよね。

 先生 そう。1731(享保(きょうほう)16)年に石見国(いわみのくに)(現在(げんざい)の島根県西部)の天領(てんりょう)や銀山を支配(しはい)する代官に任命(にんめい)され、薩摩国(さつまのくに)(現在の鹿児島(かごしま)県)からサツマイモを取り寄(よ)せたよ。

井戸神社で行われる春の例大祭の様子
 しおり 1732(享保17)年の「享保の大飢饉(ききん)」のときだったのよね。

 さとる 飢饉ってどういう状態(じょうたい)のことなの?

 先生 食料が急激(きゅうげき)に不足して、多くの人々が栄養不足になったり、飢(う)え死にをしたりする状態のことだよ。享保の大飢饉は長雨や冷夏、害虫の大発生で、西日本では稲作(いなさく)に大きな被害(ひがい)が出たんだ。

 さとる お米が不足したときに、サツマイモの栽培(さいばい)を始めて飢えに苦しむ人を救ったんだね。

 先生 石見国だけでなく、井戸代官が任(まか)された天領の備後国(びんごのくに)(現在の広島県)や備中国(びっちゅうのくに)(現在の岡山(おかやま)県)もくまなく歩いて、被害に応(おう)じて年貢(ねんぐ)を減(へ)らし、住民から感謝(かんしゃ)されたんだ。

 さとる ヒーローのような存在(そんざい)だね。

 先生 井戸代官が亡(な)くなると、恩恵(おんけい)を受けた人々は命日にお寺で法要を行ったり、お金を出し合って供養(くよう)や感謝の気持ちを示(しめ)す石碑(せきひ)を建てたりしたんだ。

勝海舟が書いた井戸神社の額(井戸神社所蔵)
 さとる 石碑はどこにあるの?

 先生 島根県内だけでなく岡山県など、合計500基(き)を超(こ)える石碑が確認(かくにん)されているよ。

 しおり そんなにたくさん! 井戸代官が取り寄せたサツマイモは多くの人々の役に立ったのね。

 先生 代官所のあった大森では1879(明治12)年に、井戸代官を祭神(さいじん)とする神社が建てられたんだ。

 さとる 井戸代官は神様になって、今でも人々を見守っているんだね。

=もっと知りたい= 井戸神社ってどんなところ?

 神社入り口の額(がく)の文字は、幕末(ばくまつ)から明治にかけて活躍(かつやく)した有名な政治家(せいじか)、勝海舟(かつかいしゅう)が書いているよ。今でも井戸代官の残した恩恵(おんけい)に感謝(かんしゃ)して、年2回例大祭が行われ、秋には本殿(ほんでん)にサツマイモが奉納(ほうのう)されるんだ。

・石見銀山資料館(しりょうかん)学芸員・藤原雄高(ふじはらゆたか)

2017年11月1日 無断転載禁止

こども新聞