世事抄録 読書は面白い

 この年になると、数ページ読んで以前に読んだ本と気付くことがある。それも乱読の青春時代でなく中年以降に読んだ本が多い。またストリーは覚えているが、読み直してイメージの変わる本もある。

 帰郷の折、川端康成の「伊豆の踊子」を50年ぶりに読み直した。記憶に間違いはなかったが、踊り子「薫」のイメージが塗り替えられた。薫は少女ではなく幼女だった。いつの頃からか私のなかで、薫は映画の吉永小百合によって薄幸の少女となり、恋の対象になっていた。今回、幼女であることを知り、あらためて川端の心情を味わうことができた。

 このように事柄の記憶や認識は塗り替えられる。それもひと皮でなく、バウムクーヘンのように幾重もの層によって形成される。生きた時々の社会状況や私的状態によって記憶は継ぎ足され、補強され、あるいは修正されていくのだ。読んだときは幼女の薫も映画で少女に塗り替えられ、見なかったが山口百恵が演じたことで成熟した少女へと変身したのだろう。

 記憶や認識は、人や社会との関わりのなかでつくられ、深く生きていくことで深まるものだ。正しい認識や絶対の認識などない。つい自分の認識や価値観にこだわり激論になるが、ひとつ引いて相手の意見を冷静に聞いてみることも自分の認識を深める意味で大切なのかもしれない。

(埼玉県在住、島根県奥出雲町出身・鬼灯)

2017年11月9日 無断転載禁止