芋代官の遺徳

 実りの秋が訪れると、今も石見部の各地で農家の人々らが「芋()代官」の遺徳をしのぶ。江戸時代、石見銀山領の第19代代官を務めた井戸平左衛門正明。凶作の際、荒れ地でも栽培しやすいサツマイモを広め領民の命をつないだ▼11月3日には、平左衛門を祭る大田市大森町の井戸神社で例大祭があり、イモが供えられた。大田ロータリークラブが新たに、神社に設けた解説板が興味深い。平左衛門の功績をたたえて、領民が建てた石碑は大田市で100基。中国地方では500基を超えるという▼サツマイモの普及が有名だが、決断と実行に秀でた逸話も伝わる。平左衛門は着任翌年、享保の大飢饉(ききん)に対し、自らの財産や豊かな農民から募った金を用いて米を購入。被害に応じて年貢を減免し、幕府の許可を待たずに代官所の米倉を開いて領民に与えている▼石見銀山資料館の藤原雄高学芸員の研究で、新たな歴史像も解明された。平左衛門の死から100年後に銀山の領民が、江戸の井戸家を訪れるなど交流。村々は平左衛門への恩に報いて井戸家を支えようと、寄付金を募っていた▼資料館に死去1カ月前、養子に宛てた直筆の遺訓書が伝わる。慈悲を第一に心掛け、文武に励むよう説く文面から実直な人柄が伝わる▼代官に着任した時の年齢は、隠居してもおかしくない60歳。在任期間はわずか2年弱。病を抱えながら領内を巡り、飢饉に立ち向かった。石見銀山をはじめ江戸時代の代官の中で、没後280年たっても敬愛される人物は数少ない。(道)

2017年11月11日 無断転載禁止