石見銀山 たんけん隊 <18時間目>

 産銀量が減(へ)ったり、労働環境(かんきょう)が悪くなったりすると、働く人は少なくなっていくよ。代官所は働き手を確保(かくほ)するためにさまざまな支援策(しえんさく)を考えたんだ。

    ※      ※    


間歩の外から農具の唐箕(とうみ)を連結させた送風機を使って、薬草の蒸気を送り込むことで環境改善が期待された


働き手確保(かくほ)へ手厚(てあつ)い支援(しえん)

 さとる 江戸(えど)時代、仙ノ山(せんのやま)には何人くらい住んでいたの?

 しおり 「銀山旧記(きゅうき)」によると、産銀量が最盛期(さいせいき)を迎(むか)えたころは20万人近くが住んでいたのよね。

 先生 江戸時代の中頃以降(なかごろいこう)は平均(へいきん)1500人くらいかな。働き手の数を維持(いじ)するのは大変だったんだ。

 さとる 人口が増(ふ)えた年と銀がたくさん採(と)れた年は一致(いっち)するの?

 先生 そうだね。全国の銀山から技術(ぎじゅつ)者がやってきたり、周辺の村々から出稼(でかせ)ぎにきたりしたよ。

 しおり 逆(ぎゃく)に産銀量が減ると、働く人は他の銀山に移(うつ)ってしまうのね。

 先生 飢饉(ききん)や、はやり病(やまい)で働き手が減った年もあったんだよ。

 さとる 仕事は専門(せんもん)的な知識(ちしき)や技術を必要とするから一気に人が減ると困(こま)るね。

 しおり 代官所は何か手だてを打ったの?

 先生 男の子が生まれると、2歳(さい)から10歳まで1日米3合ずつ支給(しきゅう)して成長の手助けを行い、人材を育てたんだ。

 さとる 小さいころから採掘(さいくつ)や製錬(せいれん)の様子を見ていたら自然と仕事を覚えるね。

 しおり でも、間歩(まぶ)が深くなるほど鉱石(こうせき)の粉(こな)が舞(ま)って、螺灯(らとう)の煙(けむり)も立ち込(こ)めてくるから過酷(かこく)な労働環境だわ。

 さとる 20代の若さで肺(はい)の病気になる人も多かったと聞いたことがあるよ。

 先生 間歩内の環境を改善(かいぜん)するために、間歩の入り口から送風機で薬草の蒸気(じょうき)を送り込んだり、口内を除菌(じょきん)するために、外側に柿渋(かきしぶ)を塗(ぬ)り内側に梅肉(ばいにく)を挟(はさ)んだマスク=写真=を考案したりしたよ。

 しおり いろいろな対策(たいさく)が練(ね)られたんだね。

 先生 さらに、労働者が病気になったら生涯(しょうがい)にわたり本人やその家族に玄米(げんまい)を支給して生活を保証(ほしょう)したりもしたよ。

 さとる 代官所は働き手を確保するために手厚(てあつ)くサポートしていたんだね。

=もっと知りたい= 病気になったら?

 代官所からお見舞(みま)いとして、保養(ほよう)薬になるみその原料(大豆(だいず)、糀(こうじ)、塩)が渡(わた)されたよ。病気にならないように、天気のいい日は相撲(すもう)をして、体を鍛(きた)えることが奨励(しょうれい)されたんだ。

・石見銀山資料館(しりょうかん)学芸員・藤原雄高(ふじはらゆたか)

2017年11月29日 無断転載禁止

こども新聞