人生の最後に食べたいもの

 人生で最後に食べたいものは。あれこれ浮かび、無人島に持って行く一冊の本と同じぐらいに難しい。ならば最後に食べさせたいものは。伊丹十三監督の映画「タンポポ」に名場面がある▼臨終の床にある母親。家族の呼び掛けに最後の力を振り絞って台所に立ち焼き飯を作る。そして子供らが食べる様子をうれしそうに眺めながら事切れる。一番したいこと、自分らしいこと、それをし終えた満足感▼洋の東西、昔の人は「何を食べたかで人物が分かる」と言った。「食は人なり」、人となり。暮らしぶりや健康を測る物差しだ。食卓は社会をも映し出し、国民が腹いっぱい食べているか、為政者だけが肥えているかで天国と地獄ほどの違いがある▼食べることを書くのが好きだ。作家・池波正太郎は「物書きは女性と食い物の表現ができて一流」と言った。足元にも及ばないが食の豊かさは住む土地の豊かさ。山陰に住むと題材にだけは困らない▼胃袋も年を重ね食の興味は変化した。旬の食材、料理人の工夫、そうしたものがご馳走(ちそう)だ。「馳走」は走り回り、材料を集め、もてなすこと。仕入れと仕込みが大事な点は、料理と文章はよく似ている。「文も人なり」人となり▼丸10年、ほぼ週1回のペースでなんとか筆をつないできたこの欄の担当を今回で終了。読者が求める旬のものをうまく料理できたかはまったく自信のないところだが、走り回った感覚は残る。いや、それは、走らせてもらい、「一生の宝」を得たというべきかもしれない。(裕)

2017年12月7日 無断転載禁止