浜田市の音楽文化向上に努めた 吉見 政男(松江市出身)

浜田高校の生徒と記念写真に写る吉見政男(前列右から4人目)=1963年2月
歌う楽しさ根づかせる

 浜田(はまだ)市の音楽文化向上に努(つと)めた吉見政男(よしみまさお)(1914~80年)は、松江(まつえ)市北堀(きたほり)町で生まれました。終戦後、政男は県立浜田中学校(現(げん)・浜田高校)の音楽の先生になりました。グランドピアノを修理(しゅうり)し、食堂を音楽室にしました。退職(たいしょく)後も、「浜田市民合唱団(がっしょうだん)」や「浜田少年少女合唱団」の初代団長となり、音楽を心から愛しました。

 少年時代の政男には、音楽家を目指し勉強する兄がいました。政男も歌うことが大好きで、兄の影響(えいきょう)もあり、中学校で音楽の勉強を希望していました。進学した県立松江中学校(現・松江北高校)には音楽の授業(じゅぎょう)がありませんでしたが、先生の言葉に励(はげ)まされ、音楽大学を受験することを決意しました。東京で童謡(どうよう)作家の本居長世(もとおりながよ)から2年間の厳(きび)しい指導(しどう)を受け、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に入学しました。

吉見政男がつくった浜田少年少女合唱団は結成40周年の記念演奏会を昨年5月に開いた
 大学を卒業した政男は、音楽の先生となり満州(まんしゅう)に行きました。戦争中の1945年5月、兵士として戦場に行くように命じられました。その後、ソ連(現・ロシア)に攻(せ)め込(こ)まれ、捕(つか)まり銃(じゅう)を向けられました。そこで政男は、ロシア民謡を歌います。すると美しい歌声を聞いたロシアの兵士から許(ゆる)してもらいました。

 浜田中学校退職後も、「浜田市民合唱団」の初代団長を務(つと)めたほか、市内の子どもたちに合唱の楽しさを感じてもらおうと、教員仲間と協力して「浜田少年少女合唱団」を結成しました。当初定員50人でしたが、入団希望者が殺到(さっとう)し、107人の大編成(だいへんせい)でスタートしました。

 同合唱団で、指導者として共に活動した真田節子(さなだせつこ)さん=浜田市杉戸(すぎど)町=は「温厚(おんこう)でみんなに慕(した)われていた。合唱団でも、自由にやっていいよと話すなど、寛大(かんだい)に見守ってもらった」と話します。

 浜田市民合唱団は昨年12月、結成45周年の記念演奏(えんそう)会を、浜田少年少女合唱団は同5月に節目となる40周年の演奏会を開き、大勢(おおぜい)の観客でにぎわいました。政男が作った合唱団では、今でも、合唱好きの仲間が歌い続けています。

2018年2月21日 無断転載禁止

こども新聞