(112)扇原関門跡(益田市多田町)

約150年前に石州口の戦いが繰り広げられた扇原関門跡
明治維新の胎動伝える

 幕末の1866(慶応2)年6月、第2次長州戦争の戦いの火ぶたが切って落とされた地として知られる扇原関門跡(益田市多田町)。開けたところに立つ石碑には「岸静江戦死之(の)地」と記され、明治維新の胎動の歴史を伝えている。

 益田市教育委員会によると、扇原関門は64(元治元)年、江戸幕府と長州藩の関係が緊迫し始めたころ、浜田藩と津和野藩の藩境に当たる扇原に設けられたという。

 66年6月16日朝、大村益次郎率いる長州軍約1500人が横田(益田市)方面から扇原に差し掛かった。関守だった浜田藩士・岸静江国治は通過を許さず、戦闘が始まった。

 世に言う「石州口の戦い」で、大島口(周防大島)、芸州口(安芸)、小倉口(九州小倉)の戦いと合わせて「四境戦争」と呼ばれる。

 長州軍の兵力は圧倒的で、岸は部下と農民を逃がし、1人で関門を死守するが、敵弾を受け、31歳で戦死したと伝わる。

 扇原関門を通過した長州軍は翌日の6月17日、万福寺などに布陣していた幕府軍(浜田藩、福山藩)を敗走させた。

 時代が大きく動く転換点となった地は、近くの道路沿いにある岸静江の墓からおよそ250メートル、木漏れ日の小道の先にある。

 「岸静江戦死之地」の石碑は、1933(昭和8)年に建立されたとある。そばには「これより北 浜田領」「これより南 津和野領」と藩領を示す石柱も立ち、150年前の光景をしのばせている。

2018年6月7日 無断転載禁止