隠岐騒動に思想的影響 中沼 了三(隠岐の島町生まれ)

 明治維新でも指導的役割

中沼了三について紹介した漫画小冊子
 明治維(い)新(しん)と隠(お)岐(き)騒動(そうどう)から今年で150年。この二つの大きな歴史に思(し)想(そう)的な影響(えいきょう)を与(あた)えたといわれるのが、江(え)戸(ど)時代から明治時代にかけて儒学者(じゅがくしゃ)として活(かつ)躍(やく)した島根県隠岐の島町中村出身の中沼了三(なかぬまりょうぞう)(1816~96年)です。

 了三は医(い)師(し)の家に生まれ35(天保(てんぽう)6)年、京都で儒学を学びました。儒学は中国の思想家・孔(こう)子(し)が唱(とな)え、倫(りん)理(り)的な修行(しゅぎょう)によって「仁(じん)」といわれる最高道徳(どうとく)の達成を目指す学問です。

 43(同14)年には京都で私(し)塾(じゅく)を開設(かいせつ)。多くの明治維新志(し)士(し)を育て、明治天皇(てんのう)の父の孝明(こうめい)天皇(在(ざい)位46~66年)に道徳などを講(こう)義(ぎ)する侍(じ)講(こう)(先生役)を務(つと)め、朝廷(ちょうてい)から重く用いられました。

中沼了三の顕彰碑周辺で清掃活動を行う住民=2014年5月
 明治維新は、江戸幕府(ばくふ)を終わらせて中央集権(しゅうけん)統一(とういつ)国家と日本的な資本(しほん)主義をスタートさせる政(せい)治(じ)的、社会的変革(へんかく)の動きです。

 68(慶応(けいおう)4)年の鳥(と)羽(ば)・伏(ふし)見(み)の戦いで新政府軍の参謀(さんぼう)役を担(にな)い、天皇に忠誠(ちゅうせい)を誓(ちか)って幕(ばく)府(ふ)を倒(たお)す運動を行う勤王(きんのう)思想の精(せい)神(しん)的支柱(しちゅう)となりました。明治維新に関係する多くの人たちにも指(し)導(どう)的役割(やくわり)を果たします。明治維新後も新政府参(さん)与(よ)に就(つ)き、明治天皇にも学問を教えました。

 松江藩(まつえはん)からの独(どく)立(りつ)を目指した隠岐騒動でも、関係者に思想的影響を与えたとされています。隠岐騒動は、幕府領(りょう)で松江藩が幕府から預(あず)かっていた隠(お)岐(きの)国(くに)で同(明治元)年に起きた、松江藩と島民との争い。松江藩が、飢饉(ききん)や日本海へ入ってくる外国船の有(ゆう)効(こう)な対策(たいさく)を取らず、島民が希望していた文武館の設置(せっち)を許可(きょか)しなかったため、島民の間で藩に対する不信感が高まっていました。

 島民約3千人が郡代(ぐんだい)(=松江藩の在島(ざいとう)役人トップ)がいる屋敷(やしき)を囲って郡代を追放し一時期、島民による自(じ)治(ち)を実現(じつげん)させました。

 96(同29)年、京都の自(じ)宅(たく)で79歳(さい)の生涯(しょうがい)を終えました。

 1976(昭和51)年、住民有(ゆう)志(し)らが顕彰(けんしょう)会を設立し生誕(せいたん)地に顕彰碑(ひ)を建立(こんりゅう)。2016(平成28)年には、40年前に発刊(はっかん)した「中沼了三伝」を顕彰会が生誕200年を祝って復刻(ふっこく)、加筆出版(かひつしゅっぱん)。今年3月には、隠岐騒動と明治維新150年を記念して、次世代に伝える会が生涯を漫(まん)画(が)にした「中沼了三」を発刊しました。

 生家跡(あと)は公園に整(せい)備(び)され、住民らが清掃(せいそう)奉(ほう)仕(し)するなど、郷土(きょうど)の偉(い)人(じん)をたたえています。

2018年6月27日 無断転載禁止

こども新聞