文化財行政の光と影

 島根に開発の波が押し寄せ、住宅開発や道路建設が進んでいたさなかの1974年、島根県教育委員会の若手の係長が「仕事に疲れた」との遺書を残して亡くなった。調査を担当していた安来市の宮山古墳群を、民間会社が宅地造成のため壊そうとしていた▼民間会社は既に宮山古墳周辺の弥生時代の王墓や古墳を、次々と重機で破壊していた。係長は貴重な文化財を守ろうと苦悩した末の死だった。取材でその経緯を知った時に抱いたやりきれなさは今も思い出す▼係長の死や多くの遺跡が失われたことに危機感を持った県や市町村の担当者らが、遺跡の保護と調査に関する現代史の証言といえる「出雲考古学のあゆみ」を刊行。「悲劇を繰り返すまい」と発掘調査の体制の強化に結び付けていく▼10年後の84年に大きな転機が訪れる。出雲市の荒神谷遺跡で大量の弥生銅剣が、翌年には銅鐸(どうたく)と銅矛も出土。古代出雲の独自性が浮き彫りになり、文化財の価値が広く認識された▼曲折を経て築かれた島根県の文化財行政は今や全国から注目される。埋蔵文化財調査センターと古代文化センター、古代出雲歴史博物館が連携。発掘調査と研究、成果の展示公開が直結する仕組みは他県にない▼そうした努力が結実し五輪イヤーの2020年、東京国立博物館で古代史企画展「出雲と大和」が開催される。同館が地方をテーマに据えた展覧会を開くのはまれ。国宝の青銅器や出雲大社の巨大柱などの文化財が披露される。古代出雲の魅力を示す絶好の機会だ。(道)

2018年7月16日 無断転載禁止