松江駅に見つけたもの/真の豊かさは ここ島根に

日本政策投資銀行松江事務所長 上定 昭仁

 昨年の秋、最終電車を待つ松江駅のホームで、前に並ぶ女性から不意に声を掛けられた。「あの人、終電に乗れないと困りますよね」。視線はホーム中央の待合室に延びている。目をつむった中年男性が二つの座席をベッド代わりに横たわっているのが見えた。東京では見慣れた光景だ。

 もちろん終電を逃せば困るはずだ。深夜は底冷えするし、タクシーに乗れば結構な金額になるだろう。「そ、そうですね。起こしてみましょうか」。生まれて初めての問い掛けに戸惑いながらも、待合室に向かい男性に話し掛けた。女性もついて来てくれる。

 「終電来ちゃいますよ。起きてください」。男性は一瞬目を開き、またすぐに閉じたが、体を起こして椅子に座り直した。

 「どこまで行かれます? 電車に乗っても乗り過ごしたら困りますよね」。聞いたのは女性、聞かれたのは私。おっしゃる通りだが、見も知らぬ人に寄り添い、降りる駅まで案内する役回りは私の想定になかった。

 「揖屋駅です」。私が答える。「私も揖屋なんですよ」と女性。そして私から男性に聞く。「どちらまで行かれますか?」「よ、米子」。目は開かないが、明快な答えだ。米子は揖屋より三つ先の駅。とっさにホームの電光掲示に目をやる。最終電車の終着駅は、よ、米子だ。「米子が終点なので寝ても駅員さんが起こしてくれますね」。私はほっと胸をなで下ろし、到着した電車に男性が乗り込むのを女性とともに確認してから、その電車で帰宅の途についた。

 ああよかったと安堵(あんど)しながら思った。なんでこういう経験が今までなかったのかなと。東京の金曜深夜など酔っぱらいだらけ、駅のベンチに横たわっているおじさんは大勢いる。

 ところが、そうだ。終電の時間帯になると駅員が総出で、出入り口に近いところからエスカレーターを止めシャッターを閉めて、駅構内に残る、ベンチに横になっている酔客を追い出し電車に乗せる。一般人は見ているだけで何の使命も負わない。だから、寝ている人がいても関心を持つ必要がなかったのだ。

 社会のシステムはどんどん合理化・自動化されて、私たちの生活は「豊かになっている」ように見える。コンビニができ、ネットが普及し、自動運転が実用化され、人工知能(AI)が進化して、多大な恩恵がもたらされているのは事実だ。

 しかし、実はそれと同時に失いかけているものはないか。私たちの「心」が合理化・自動化されてはいないか。東日本大震災が起こって、便利な現代に生きる私たちが、ハッと気付かされたことがどれほどあっただろう。

 幸いにもわがふるさと島根は、そんな合理化・自動化が遅れている。おかげで本当に大切なものが昔のまま残る、全国的に見ても恵まれた土地だ。古来、日本人が皆持っていたDNAが廃れることなく引き継がれている。そしてさあ、自分はどうだ。いつの間にか「都会の無関心」に慣れてはいないか。島根県人の誇りはどうした。

 深夜、湯船に浸かって今夜の出来事を思い出し、何かほっこりした。温かい気持ちになった。やっぱり島根はいいなと思った。どんなに技術革新が進んで便利な世の中になっても、「心の豊かさ」はなくしたくない。なくしてはならない。そして誇りを持って子どもたちに受け継いでいかなければならない。

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 うえさだ・あきひと 1972年生まれ。松江市出身。松江南高、九州大法学部卒。95年、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。国土交通省、シンガポール駐在、人事部、企業投資部、社長秘書などを歴任し、2017年4月より現職。45歳。

2018年7月29日 無断転載禁止