洋画家・木山義喬 出身地 日野で企画展 戦中の風俗画9点

食糧増産に励む庶民の姿など木山義喬が戦中に描いた風俗画
 くわを置き、特攻機に手を合わせる人の絵に「神風隊の勇姿こそ昭和の御代の伊勢の神風」との言葉-。15日の終戦記念日を前に一見、戦争礼賛と思える戦中の風俗画の数々が鳥取県日野町根雨の「金持テラスひの」に展示されている。作者は米国で名を成した町出身の洋画家・木山義喬(1885~1951年)。関係者は「複雑な思いがあったはずだ」と胸の内を推し量る。戦中の世相を知り、そのはざまで悩んだ先人をしのぶ好機となりそうだ。

 義喬は19歳だった1904年、米国に移住。「ヘンリー」と名乗り苦学しながら画家として名声を得た。一時帰国中の27年に出版した「漫画四人書生」は日系移民の悲喜劇を描き、ストーリー漫画の先駆けとされる。37年に帰国し、日米関係の悪化を受け再渡米を断念。古里で生涯を終えた。

 企画展は帰郷後、戦中に描いた風俗画など9点を並べた。障子紙に墨などで描いた風俗画は、戦闘機の絵に「天降る高千穂隊の刃こそ宏き東亜の国の御剣」との言葉、クワを振るうもんぺ姿の女子の絵に「玉砕へ合わすその手を増産へ」との言葉を添えた作品など。

 第二の古里・米国と祖国の戦争に義喬の心境は複雑だったはず。実繁浩一町賑(にぎ)わいづくりコーディネーターは当時、米国帰りの義喬に周囲の目が厳しかったとみて「気持ちを隠すため、特攻礼賛のような絵を描いたのではないか」と推察。「義喬が本当は何を言いたかったのか来場者に考えてもらえればいい」と話す。

 展示作品の中に異彩を放つ風刺画がある。「食糧増産の秋 国校児童と同場の映画見物 なんと芋の臭獲多量なり」との言葉と、芋が主食だった児童のおならに顔をしかめる男を描いた作品。義喬が世を冷静に眺め、ユーモア精神を持ち続けたことを物語っている。

 企画展「木山義喬特別展 戦時中の暮らし」は企画展「たたら入門」と同時開催で、9月30日まで。

2018年8月15日 無断転載禁止