「九軍神」への祈り今も

 1941年12月8日、日本軍のハワイ・真珠湾への奇襲は艦載機だけではなかった。潜水艦から発進した5隻の特殊潜航艇は全てが未帰還となる。隊員10人中9人が戦死した。このうち2人が山陰両県の出身だった▼鳥取県琴浦町出身の横山薫範少尉=享年(24)=と、浜田市出身の佐々木直吉少尉=同(28)。攻撃後に母船へ戻る海域が設定されてはいたが、潜航艇の構造から帰還は困難で、隊員らは2発の魚雷と運命を共にする覚悟だった▼大本営は「九軍神」として9人の死亡を発表し、翌年に東京で大規模な合同海軍葬を執り行った。古里でも葬儀があり、地元から軍神が出たことを住民の誰もが誇りに思った。戦後73年が過ぎ、浜田で郷土の偉人として佐々木少尉の名前が出ることは少ない▼有志らの手で2006年、佐々木少尉の生家跡近くに顕彰碑が建立された。毎年8月と12月に慰霊式典がある。終戦記念日を10日後に控えた今月5日には40人が集まり24回目の式を開いた▼国のために命をささげた若者たちを軍部は「神」として持ち上げ、戦意高揚を図った。戦争を経験した世代は、平和が続く今もなお、佐々木少尉の慰霊を続けている▼顕彰碑を守る会の細川末喜事務局長(88)は「今の平和が築かれたのは戦争で亡くなった方々の犠牲の上にある。これだけは絶対に忘れないでほしい」と次世代への思いを語る。戦場に散った人たちは国を守り、国難を打開したい一心だった。歴史を理解し、今の平和をもたらした先人の冥福を祈りたい。(釜)

2018年8月15日 無断転載禁止