中山間地域を按ずる/“農本主義”が活路では?

ふるさと島根定住財団顧問 藤原 義光

 「金を払っても作り手が得られなくなる」。1980年ごろにはこれを聞いても「まさか?」と半信半疑だった。実家の両親も近隣の家もまだ50歳すぎの働き盛りで、大半が農業のかたわら「弁当産業」(建設工事作業員)で生計を立てていた。同級生などの多くが村を出て確かに後継者は少なくなっていたが切迫感はなかった。

 その理由は、私自身も別居とはいえ“通いの第2種兼業農家”を自認していたこともあって、「兼業農家は農村を維持するため日本の農業・農村が進化した有為な形態だ」と考えていたことがあった。

 それから40年たち、「借り手がいない」はまさに予想を超えた現実となった。「耕作放棄地というが放棄ではない。作りたいが自分ではもう限界だ。頼もうにも作り手がいない」のが実態だ。

 「限界集落」というあまりよくない造語も生まれた。県都松江市から小一時間のわが生地もそれだから行く末を案ずる。もともと地区全体では80戸強あったが、今はほぼ半数、住民の多くがお年寄りで独居が多い。かつては門ごとに和牛がいて田起こしや代かきの動力であり、繁殖元牛でもあった。そのころの学校は、田植え、稲刈りや村祭りでの欠席、早退は“公休”が黙認だった。

 確か54年、村に耕運機第1号が入って以降、農業機械の導入は急速に進んだ。高度経済成長に伴う予算の伸びに併せて公共事業も大幅に増大し、兼業農家はその担い手として弁当産業に向かった。

 今や、日本経済はかつての勢いを失い、公共事業は大幅に削減され、村は過疎で弁当産業も兼業農家も影がない。

 みんなが貧しかった。貧しかったが不幸ではなかった。小さな川での魚釣り、公民館映画や村祭りの夜店の焼きまんじゅうやアーク灯の匂いが懐かしい。しかし、いくら懐かしんだところで何も解決しない。

 島根県では過疎地域対策研究会を設置して今後の過疎地域のあり方を検討している。40年先はともかくとしても、場当たり的なお役所のご都合主義ではない将来を見通した哲学と理念のある展望を示してほしい。

 「農」は人が生きるために必要な食料を生産する活動だから、お金は結果的についてくるものだと考えて、“農本主義”で物事を組み立ててみてはどうか? 農業も大事だが、農村を守ることがもっと大事だ。それが結果的には農業の基盤となり地域の生活や食を支える。島根県が99年から3カ年で実施した集落維持活性化100万円事業もこうした考えだった。

 ここでいう“農本主義”は「生命・生産・生活の“三つの生”の良好な関係」を評価する価値観であり、「集落営農などでのコミュニティーの維持」や「里山資本主義」「地産地消」「地域内循環」「半農半X」などをいう。「半農半X」は各家庭や集落経営での兼業農家を新しい理念で再構築した概念だ。

 日本は人口減の時代となったが、地球規模では人口増加が続くし、食料や資源、エネルギー消費の増加も続く。それが近年の激しい異常気象をもたらす地球温暖化の要因となり、また、食料やエネルギーは有限だからその争奪戦や国境紛争も激化している。

 近年の過酷な災害や農作物被害は経済がグローバルな競争にさらされ、効率や利益を優先せざるを得なくなった要素も多分にある。

 また、地方での公共事業は無駄だとして大幅に削減されたから河川や急傾斜地の災害予防工事は手が回らないし、災害復旧工事を担う建設業は重機も作業員も不足している。災害に備える国土強靭(きょうじん)化には所要の予算とそれを担う地域人材がいる。

 この“グローバル”な食料・エネルギー問題と“ローカル”な地域の維持活性化や災害対応を“農本主義”の地域内循環などで取り組んだらどうだろう。こうした営みをする農村(地方)は“グローカル”な生き方の先進地であり、行(生)きたい所へターン(Iターン)する受け皿ともなる。

 温故知新の“農本主義”は、地域経済の主力エンジンにはならないが、中山間地域振興の小口エンジンにはなり得ると思うが、どうだろう。

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 ふじはら・よしみつ 岡山大卒。1972年、島根県職員採用。財政課長、浜田総務事務所長、地域振興部長、教育長、ふるさと島根定住財団理事長などを歴任。現在、同財団顧問。

2018年8月26日 無断転載禁止