殿様教育の突破口

 松江松平藩7代藩主・松平治郷(はるさと)(号・不昧(ふまい))は、江戸後期の大名茶人として広く知られる。文武両道で、藩財政を立て直した。名君として歴史に名を刻んだ背景には、殿様の教育係を担った藩士の苦悩があった▼没後100年に合わせて松平家が出版した「松平不昧伝」にうかがえる。不昧はとても賢いけれども、10代の多感な青年期に血気旺盛すぎて過ちを犯した。「育て方を間違うと大変なことになる」と周囲を心配させた▼松江藩は、不昧をどうしても名君に育てなければならなかった。父・宗衍(むねのぶ)の時代に藩財政が行き詰まり、江戸では1両も借りられず「松江藩はいずれ取りつぶし」と言われた。つぶれれば藩士の暮らしは立ちゆかない▼教育係が出した知恵は、心静かに勉学と修身に励んでもらうため、茶道と儒学を勧めた。これが合い、人生の転機となった。14歳で将軍徳川家治にお目見えし「治」の文字をもらい、17歳で藩主に就いた▼不昧は生涯をかけ茶の湯を極めた。同時に室町時代から名品とされた茶道具を収集し、貴重な文化遺産として保護した。茶碗(ちゃわん)の名品を藩の陶工に見せて作らせることで、伝統文化を継承するとともに陶芸や茶と菓子の生産といった次代の藩の産業を育てた▼今年は没後200年。9月7日から松江歴史館で、同21日からは島根県立美術館でも企画展が開催される。殖産興業によって藩の難局を打開した政治家、茶道を通じ人材を育んだプロデューサー。そんな不昧の多面的な実像を見つめる好機となる。(道)

2018年8月28日 無断転載禁止