韓国の竹島領有根拠/日本への対抗意識背景

日本安全保障戦略研究所研究員 藤井 賢二

 竹島(韓国名・独島(トクト))についての最初の韓国の新聞記事は、南朝鮮過渡政府時代の1947年6月20日付『大邱時報』の「倭賊日本の見当外れの言動 鬱陵島近海の小島を自分の島だと 漁区として所有」とされる。「最近には島根県(原文ママ)境港の某日本人が自分の漁区として所有しているようで、今年4月鬱陵島の漁船一隻が独島に出漁すると、この漁船を見て機銃掃射を敢行したことがあったという」と報道された。

 記事の情報源と考えられるのが、韓国国家記録院所蔵の「独島(竹島)(原文ママ)に関する調査の件」というファイルの中にある、同年6月17日付の慶尚北道知事の報告書「鬱陵島所属独島領有確認の件」である。そこには「近日には日本境港の某日本人の個人所有になって漁獲を禁止した」「今年四月中旬に鬱陵島漁民がこの島に出漁したが国籍不明の飛行機から機関銃掃射を受けた」とある。

 翌48年6月8日に米軍機の爆撃によって竹島で漁労していた韓国人が死傷する事件がおこったように、日本がGHQによって占領されていた時期、竹島は米軍の爆撃訓練場として使用された。『大邱時報』の記事は「国籍不明の飛行機」の「機関銃掃射」(米軍の爆撃訓練の一環だった可能性が高い)を「某日本人」の仕業とし、韓国人の日本への反感を高める結果になっている。記事は韓国人の日本への強い対抗意識を感じさせる。

 47年10月15日付『漢城日報』の「独島の国籍は朝鮮、立証する厳然たる証拠資料保管」では、韓国の竹島領有の根拠として次の3点が示された。(1)地理的に隠岐よりも鬱陵島に近い(2)大陸・台湾や朝鮮半島にしかいないチョウなど日本にはいない生物がいる(3)「李朝末」に竹島を自国領と確認し日本の侵略を憂慮した「鬱陵島郡守」の政府への報告がある-。

 (1)の地理的近接性が領有の根拠にならないことは国際司法裁判所の判決で確定している。(2)は島根県職員田村清三郎の「むしろ鬱陵島の植物相は、朝鮮よりも日本に近く、下手な主張をすると鬱陵島は日本領土でなければならなくなる」(『島根県竹島の新研究』1965年)という逆襲を受けた。(3)は06年に竹島と鬱陵島を訪れた島根県の視察団から竹島の編入を聞いた鬱島郡守の沈興澤が作成したもので「本郡所属独島」という文言があった。

 しかし、この文書は竹島の編入について日本に抗議したものではなく、また、当時の韓国(大韓帝国)が竹島を領土として支配していた法令に基づくものでもなかった。すなわち、この報告だけでは竹島領有の根拠にはならない。05年の日本の編入以前に竹島を領土としていたことを韓国は示せなかったのである。

 ところで「独島(竹島)に関する調査の件」というファイルの中にはまた、50年作成の米軍機による「独島爆撃事件」の「経緯報告」がある。そこに「解放後■(盃の不が木)陵島(鬱陵島)民は本島(竹島)の所属が不分明であるため漁獲上(原文ママ)躊躇(ちゅうちょ)した」とあるのは重要である。

 日本の統治終了後「本島の所属が不分明」なので竹島での漁獲をためらったという文言は、「解放とともに独島はふたたび我々の胸に抱かれた」(2011年8月12日の韓国外相談話)などという現在の韓国の主張とは異なる。

 「同島は島根県の管轄下に在(あ)り、魚介海草の漁獲採取はすべて島根県の許可を得るに非ざれば不可能であり、鬱陵島よりアワビ、サザエ、テングサ、ワカメ等の採取に行く者すべて島根県の許可所有者に入漁料を支払って行ったものである」(鬱陵島友会『欝陵島会報』3・1965年)という鬱陵島から引き揚げた日本人の証言にあるように、竹島を管轄するのは朝鮮総督府ではなく島根県であったことを、鬱陵島の朝鮮人も知っていたに違いない。

 このような「国境の民」の現実に根差した認識が、日本への強い対抗意識によってかき消されていく。それが、韓国が領有を声高に叫ぶ中で起こったことであった。

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 ふじい・けんじ 島根県吉賀町出身。同県竹島問題研究会研究委員。

2018年9月10日 無断転載禁止