大坂選手の全米テニス制覇/日本選手の可能性示した

 テニスの四大大会今季最終戦、全米オープンで大坂なおみ選手が初優勝した。日本選手が世界の舞台に挑戦を始めて1世紀以上がたつ。熊谷一弥、清水善造のレジェンドにはじまり、戦前の大選手・佐藤次郎、戦後は女子の沢松和子さんや伊達公子さんら、幾多の名選手が挑戦して果たせなかったテニスの頂点を極めた。その功績をたたえたい。

 1968年、世界のテニスはプロ参加を容認するオープン化にかじを切った。ここから人気、レベルが格段に上がる。ウィンブルドン5連覇のボルグを筆頭に、コナーズ、マッケンロー、ナブラチロワとエバートの各選手など、聞き覚えのあるプロが続々現れた。ナブラチロワ選手は厳しいツアーを勝ち抜くために栄養士を同行、チーム化の先鞭(せんべん)をつけた。

 対照的にアマチュアリズムに縛られた日本はオープン化に取り残された。好選手が現れても「個」の戦いを強いられた。

 時代が大きく変わったのは錦織圭選手の出現からだ。スポーツの国際エージェントのIMGが支え、89年の全仏オープン優勝者マイケル・チャン氏がコーチを務めて2014年の全米オープンで決勝進出、世界のトッププロに定着した。

 今年の大坂選手の躍進はチーム化という錦織選手の相似形といえる。ドイツ人コーチを迎え、持ち前のパワーに頼って、ネガティブな思考に陥りやすかった大坂選手の方向を変えた。トレーニングコーチの指導で7キロの減量に成功。トレーナーも同行。現代はチームで戦う時代であり、快挙の背景にオープン化から50年で世界の流れに追い付いた点がある。

 大坂選手は記者会見で「大阪生まれの子はみなオオサカと名乗るの」とジョークを発したことがある。天真らんまんさもあって、女子テニス界の人気者になった。メディアと円滑なコミュニケーションは、世界の一流になる上で欠かせない要素でもある。

 3歳でニューヨークに渡り、父の指導で公営コートで腕を磨いた。夢はセリーナ・ウィリアムズ選手と、ニューヨークでの全米決勝を争うこと。決して豊かではなかった選手が、セリーナ選手に憧れて夢をかなえた。主審への不満から自らを見失ったセリーナ選手の態度は、大坂選手の門出に水を差したが…。

 20歳の新星が、女子の四大大会最多タイ記録になる24度目の優勝を目指した36歳のセリーナ選手を破った意義は大きい。世代交代に弾みがつくだろう。錦織選手の全米準優勝後がそうだったように、ラケットを握る子どもたちが増えることが予想され、国内での人気向上とレベルアップの刺激になるだろう。

 故障がちだった錦織選手もベスト4に進み復調を印象づけた。20年の東京五輪は、全米と同じハードコートで実施される。2年後へ期待を膨らませる快挙といえるだろう。

 近年の日本スポーツ界は、陸上、柔道などを含め、親が外国出身の選手の躍進が際立つ。父親がハイチ出身の大坂選手は、肌の色に左右されないスポーツの国際化を象徴するといえる。かつて日本社会にあった偏見は表面上消えているが、五輪を迎える国として、さらに融合が進む一助となってほしい。

2018年9月12日 無断転載禁止