豊洲市場オープン/魚食文化の未来が懸かる

 「日本の台所」と呼ばれた東京・築地市場が83年の歴史に幕を下ろし、豊洲市場がオープンした。魚の目利きと魚食文化の発信地、そして近年は観光地として世界的にも認知されてきた「築地ブランド」をどう発展させ「豊洲ブランド」につなげるのか。難しい課題を抱えての船出だ。

 移転は国際基準に合った衛生管理ができる施設にするためだ。鮮魚や加工製品の輸出、今後の発展を視野に入れれば、不可避の措置とも言える。初日は周辺道路の渋滞など課題が見つかったが、改善し対応してほしい。

 6日に営業を終えた築地市場は、1923年の関東大震災で日本橋の魚市場などが焼失したことを受け35年に開場した。老朽化に伴って同じ場所での再整備が86年に決まったものの、事業費の高騰などから頓挫。東京都は石原慎太郎知事時代の2001年に豊洲移転を決定、16年に開場する予定だった。

 しかし移転を「立ち止まって考える」とした小池百合子知事が16年に誕生して延期を表明。さらに環境基準を大幅に超える豊洲での地下水汚染が見つかり、新たな安全対策のために開場が2年延びた。

 小池氏の劇場的な都政運営には批判があるものの、移転の経緯や過去のずさんな土壌汚染対策の情報が公開されたことは評価したい。

 築地移転のように賛否が拮抗(きっこう)する事業については、十分な情報の公開と丁寧な意思決定が必須だ。急いで独善的に判断すると、政争の具になって逆に時間がかかる。難航した公共事業の典型例としても記憶されるべきだ。

 今後の最大の問題は、築地の跡地利用だ。東京五輪・パラリンピックの期間中は車両基地として使うが、その後については小池氏が掲げた「築地は守る、豊洲を生かす」の方針がベースになる。

 都の有識者会議は5月に「新たな築地ブランドを創造する」との報告書を出したが、具体策はこれから。営業を続ける築地場外市場の横に「食のテーマパーク」などの観光施設を造ると、五輪後に豊洲に整備される「千客万来施設」と競合。跡地に再び市場の機能を持ってくれば、豊洲市場の役割を損なう。

 跡地利用で収入を上げ、豊洲市場の経営を助けたいとの思いもあるだろう。都心の一等地に残る都有地の活用だけに、幅広い議論によって拙速は避けなければならない。

 解体工事も始まった。水爆実験で被ばくした漁船「第五福竜丸」が持ち込み埋められたマグロの扱い、アスベストの飛散防止や逃げ出すネズミの対策にも注目したい。

 築地の水産物の取扱量は80年代のピークには80万トンを超えていたが、現在はその半分以下。市場を通さない取引の増加が主因だ。さらに日本の漁業・養殖業の生産量がピークの3割台とじり貧にあることも影響する。豊洲市場の取扱量を維持し増やすためにも、健全な国内漁業の振興が不可欠と言える。

 マグロやウナギは、日本の市場が世界から買い集めることもあり絶滅の恐れが指摘されている。魚食文化を誇り、海洋国家を自任するのであれば、日本は海の生物や生態系の保全にリーダーシップを発揮すべきだ。国を挙げての取り組みが「豊洲ブランド」づくりに役立つはずである。

2018年10月12日 無断転載禁止