松江城下に忍者いた!? 江戸初期の絵図 住居示す記述

堀尾氏が1611年に築城した松江城=松江市殿町
 江戸時代初期の松江藩に忍者が存在していたことが、忍者研究の第一人者である三重大の山田雄司教授(51)=日本中世史=の調査で明らかになった。松江の城下町絵図に、忍者を指す「早道(はやみち)」の住居が書かれていることが判明。新たな史実が明らかになり、松江市は近く本格的な実態調査に乗り出す。全国的な忍者ブームの中、歴史的裏付けを基にした観光振興への活用が期待される。

 1620~33年ごろの町割りと1軒ごとに家臣の名前が書かれた「堀尾期松江城下町絵図」を調べ、松江城南西に位置する現在の松江市外中原町の愛宕神社や清光院近くに「伊賀久八」「いが九兵衛」など伊賀国(三重県)出身者の名前が約40軒連なっていることを確認した。砲場の文字もあり、鉄砲隊とみられるという。主に情報収集を担った「早道」との職名を記した住居も5軒見つかった。

 山田教授は、伊賀姓の密集地域に近いことから、早道は伊賀者が担った可能性が高く、藩主に命じられて情報を探索したと指摘。「絵図に人名でなく早道と書いたのは、名前を隠す必要があったためだろう」と推察する。

 各地の古絵図で「忍」「忍者」との記述が多い中、早道の記述は松江藩と弘前藩(青森県)の2例しかなく、弘前藩に仕えた忍者集団「早道之者(はやみちのもの)」の存在を示す史料より早い時代という。

 絵図が描かれた後の1630年代以降の家臣団名簿に、松江藩に忍者が30人程度いたとする記述も確認した。松江歴史館の西島太郎学芸員は「伊賀者が鉄砲隊として城下にいたのは確認していたが、早道の存在が分かったのは初めてだ」と話した。

 市の実態調査は国の地方創生推進交付金を活用し、今後、3カ年計画で行う方針。有識者の協力を得て詳細な松江藩の忍者の実相を調べる。市観光文化課の花形泰道課長は「国宝松江城や城下町が残る松江で忍者の実態が分かればさらに価値が高まる」と述べ、訪日外国人客の誘致など観光振興の一手につなげたいとした。

2019年1月5日 無断転載禁止

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