竹島問題解決を阻むもの/日本は「永遠の侵略者」

 日本安全保障戦略研究所研究員 藤井 賢二

 「独島(トクト)は日本の韓国侵略の最初の犠牲物だ。解放とともに独島は再びわれらの懐に抱かれた。独島は韓国独立の象徴だ。この島に手を付ける者は全韓民族の頑強な抵抗を覚悟せよ。独島は数個の岩ではなくわが同胞の栄誉の錨(いかり)だ。これを失ってどうやって独立を守るのか。日本が独島奪取をもくろむのは韓国再侵略を意味するものだ」

 この文章は、竹島(韓国名・独島)問題の国際司法裁判所提訴を求める日本の提案を拒否した1954年10月28日付韓国政府口上書の一節とされてきた。元外務部長官の金(キム)東祚(トンジョ)が著書『回想30年 韓日会談』(中央日報社・1986年)でそのように紹介し、竹島問題が紛糾するごとに韓国では引用されてきた。

 韓国政府が竹島に接岸施設を造ることを発表し、日韓漁業協定締結交渉が難航した96年には2月25日付『韓国日報』で、鬱陵島を視察しようとした日本の国会議員の入国を拒否した2011年には8月15日付『中央日報』で、そして当時の李(イ)明博(ミョンバク)大統領が竹島に上陸した12年には8月25日付『中央日報』で、すべて日本を非難するために引用された。

 『領土ナショナリズムの誕生』(ミネルヴァ書房 2006年)で玄(ヒョン)大松(デソン)(当時東京大助教授)は「竹島の領有権を主張するいかなる日本側の発言も韓国人にとっては一種の侵略行為、韓国の主権に対する挑戦として受け止められている」と、この文章を説明した。

 この文章について最近分かったことがある。この文章は1954年の口上書ではなく、その時に外務部長官だった卞(ピョン)榮泰(ヨンテ)が約10年後の63年2月8日付『韓国日報』に寄せた「独島問題に関して」の一節だったのである。

 文章は、この年の1月に大野伴睦自民党副総裁が「竹島共有論」を述べたと報道されたことに反発して書かれた。隠岐島町村会は韓国の竹島不法占拠の非を訴えて「竹島共有論」に反対する陳情を2月に行ったが、韓国でも、まったく逆の立場から「竹島共有論」に反対するこのような意見が紙面を飾ったのだった。

 卞榮泰は「国土の一部を外国と共同で管理するというのは、恥知らずな日本人の決まり文句だと笑って相手にしないのではすまない。韓国の共同管理が『韓日合邦』(1910年の日韓併合)ではなかったか」と、竹島の共同管理は日本の韓国支配を招くと警告した。

 54年の韓国政府口上書には「独島は日本の侵略の犠牲となった最初の韓国の領土だった。今、独島に対する不当で執拗(しつよう)な日本政府の要求を見て、韓国人は日本が過去と同じ侵略を繰り返すのではないかと深刻に疑っている」とあった。これに対し、卞榮泰の文章は日本の竹島領有の主張は朝鮮半島再侵略を意味するという部分が「疑い」から「確信」に変わっている。「竹島共有論」は日本の最大限の譲歩であったにもかかわらずである。

 卞榮泰の文章は、05年の日本の竹島編入を侵略とし、戦後の日本の竹島領有の主張を再侵略と非難するもので、とうてい納得できるものではない。この主張が成立するためには、日本の竹島編入以前に朝鮮半島にあった政府が竹島を領有していたことを証明せねばならないが、それはいまだ行われていない。

 卞榮泰は、日本が竹島を奪った犯人と決めつけ、国際紛争をあくまでも平和的手段で解決しようとする戦後日本の姿勢を一切認めない。この文章の危険性に気付いたのであろう。日本外務省は翻訳して、日韓関係に関する資料集に収録した。

 日本を永遠の侵略者とする韓国の対日観に、多くの日本人は直接触れることはなかった。日本を傷つけるこのような対日観に反応したのは2005年に「竹島の日」条例を制定した島根県だった。しかし、今や日本全体がそれを直視せざるをえなくなっている。

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 ふじい・けんじ 島根県吉賀町出身。同県竹島問題研究会研究委員。

2019年1月13日 無断転載禁止