会いたかった詩

 ふと、行ってみようと思い立つ場所がある。まるでその場所に呼ばれているように。1月はかつて修学旅行で訪れた奈良県桜井市。三輪山を神体山として祭る大神(おおみわ)神社にお参りした。そして先日「呼ばれた」のは、都内にある国立ハンセン病資料館だった▼6年前、同期の記者と訪れた。誤った隔離政策による療養所への強制収容や不妊手術を示す資料を見て湧き上がる憤りは、「自分なら当時、思いやりのある行動を取れたか」という懐疑と自戒に変わった▼展示の中にとりわけ胸を打つ詩がある。岡山県の療養所長島愛生園で楽団を結成した近藤宏一さんの「ぼくらの風」だ。<健ちゃん/萎(な)えたその手にハーモニカは持てるか/いや持たねばならない/その唇にドレミは唄(うた)えるか/いや唄わねばならない>▼近藤さんは11歳で入所後に失明、四肢障害も負った。父親が持たせたハーモニカに生きる意味を見いだし、83歳で亡くなるまでハンセン病問題の啓発と誇りある生き方を貫いた。前回の訪問と同じく、詩の圧倒的な力に立ちすくんだ。呼ばれたのではなく、この詩に会いたかったのだと気付く▼前回一緒に訪れた同期は、近藤さんの詩に「こんな記事が書きたい」と宣言し、今はフリーのジャーナリストとして活躍する。私は今春、記者を離れる。<ぼくらにはぼくらの風が吹いている>。芽吹く春、新しい場所で自分らしい風を吹かせたい。(衣)

2019年3月12日 無断転載禁止